原発事故から3年、見捨てられる福島の農家 地元農家を苦しめる賠償制度の理不尽

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それが原発事故で暗転。「都路産の農産物はまったく売れなくなった」(渡辺さん)。食べる人の健康に人一倍気を使っていた渡辺さんは、都路での農業の継続を断念した。  渡辺さんの友人である長沢年子さん(65)は原発から約28㌔㍍の自宅を空き家にして、現在は船引町の仮設住宅で原発事故後に大腸がんの手術をした夫(75)と二人暮らしの生活を送る。 

その長沢さんも、原発事故前には直売所にジャガイモや枝豆、白菜などの野菜を出荷していたが、原発事故後は売り上げがゼロになった。 

窮状に追い打ちをかけているのが、東電による賠償の打ち切りだ。 

渡辺さんは東電の担当者から「今年からは賠償はありません」と伝えられた。その理由を聞いても「決まったルールですから」と詳しい説明はなかったという。 

「安全性に不安のあるものは出荷しない」という渡辺さんの考えには根拠がある。13年10月2日付での環境保護団体グリーンピースの専門スタッフによる調査報告によれば、渡辺さんの果樹園の空間放射線量(地上1㍍)は、毎時0・9マイクロシーベルトを上回っていた。この数値は、国が定めた放射線管理区域(年間5・2㍉シーベルト以上)の基準をはるかに上回る。渡辺さんは「汚染の心配のあるものを出荷するわけにはいかない」と悔しさをにじませる。

シイタケ栽培を断念

シイタケ栽培の渡辺徳裕さん

福島の農家の思いは複雑だ。 

伊達市小国地区で原木を用いたシイタケの栽培に従事していた渡辺徳裕さん(58)は「生きていくためには賠償は必要だが、いつまでも依存するわけにもいかない」と語る。 

渡辺さんは原発事故をきっかけに、農業収入の8割を占めていたシイタケ栽培ができなくなった。原木を買い取る形での東電による賠償は実施されているものの、山林の放射線量レベルは毎時1マイクロシーベルト前後と高く、原木生産再開のメドは立たない。 

「このままでは、雑木の維持更新ができず、山が荒れ放題になってしまう」と渡辺さんは危機感を抱く。 

篤農家の渡辺さんは、それでもあきらめない。原発事故をきっかけに廃業を決断する農家が後を絶たない。渡辺さんは「本来であればシイタケ栽培を再びやりたい。それがかなわないならば新たな農業の手掛かりをつかみたい」と心情を吐露する。 

渡辺さんは、アスパラガスや飼料米の作付けに活路を見いだそうとしている。アスパラガスはほかの農家に貸していた減反対象の田んぼに植えられていた。「採算性が見込めそうなこの作物ならやっていける」と判断した。政府の支援策が手厚い飼料米も有望だと思った。 

「祖父の代から手掛けてきたシイタケ栽培を続けられないのは残念だけれど、賠償に頼ってもいられない」と言う渡辺さんは、昨年12月に発足した「小国地区復興プラン提案委員会」の農業振興分科会リーダーを引き受けた。自身の農業のみならず、小国地区の農業再建の重責を担う覚悟だ。原発事故との終わりなき闘いが今も続いている。

<週刊東洋経済3月15日号98~101ページ記事より一部転載>

岡田 広行 東洋経済 解説部コラムニスト

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おかだ ひろゆき / Hiroyuki Okada

1966年10月生まれ。早稲田大学政治経済学部政治学科卒。1990年、東洋経済新報社入社。産業部、『会社四季報』編集部、『週刊東洋経済』編集部、企業情報部などを経て、現在、解説部コラムニスト。電力・ガス業界を担当し、エネルギー・環境問題について執筆するほか、2011年3月の東日本大震災発生以来、被災地の取材も続けている。著書に『被災弱者』(岩波新書)

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