原発事故から3年、見捨てられる福島の農家 地元農家を苦しめる賠償制度の理不尽
堆肥舎のすぐ脇には、原発事故直後に汚染された堆肥や稲わらが大きな専用の袋に詰められ、黒いシートがかけられている。その数は1000袋にも上るが、事故から3年経っても搬出先が見つからない。
酪農自体も困難を極めている。原発事故による乳価への影響はなかったものの、やむなく使用を増やした輸入飼料の価格が高騰。そのコストアップ分に対しても東京電力からの賠償はないという。
稲作農家への賠償は打ち切りに
山あいに開けた小国地区では、小規模な稲作農家が多い。原発事故から3年経った今年は、稲作農家も大きな転機を迎える。米作りへの賠償や、除染した水田を維持管理するための県からの助成が打ち切られるからだ。この方針は2月の伊達市主催の説明会で明らかにされた。
説明を聞いた稲作農家の大波栄之助さん(79)は、稲作の再開を決めかねている。
「放射性セシウムの吸収抑制対策として、今年も引き続き塩化カリウムを10㌃当たり50㌔㌘散布することが条件だという。そんな“毒消し”のようなことをして作ったコメをおいしく食べてくださいなんて言えますかね」(大波さん)
原発事故前、大波さんは取れたコメを農協に出荷する一方で、群馬県や長野県の知り合いにも直接販売していた。だが、原発事故をきっかけに売り先を失った。
小国地区の稲作農家は、原発事故後、振り回され続けてきた。前述のように、高濃度の汚染を理由に特定避難勧奨地点が設定された一方で、11年の稲の作付けには何の制限も設けられなかった。そのため避難先から農作業に通い続けた人もいた。
その年の10月には佐藤雄平・福島県知事が早々と福島県産米の安全宣言を出した。しかしその直後に、小国地区の直売所で販売されたコメに当時の規制値である1㌔㌘当たり500ベクレルを上回る汚染があったことが2度にわたって判明。検査の結果、1㌔㌘当たり100ベクレルを上回る汚染が見つかったコメは、「特別隔離」の対象として県が買い上げて廃棄処分することが翌12年3月に決まった。稲作は大きなダメージを受けたうえ、12年になって、遅まきながら作付け制限の網がかけられた。
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