「欠損なき人間」はいない!世界を「金継ぐ」方法 生産と消費を乗り越え、綻ぶ「分解の世界」

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だが、よくよく考えてみると、確かにわたしたちもずっと、親からも、学校の先生からも、会社の上司からも「欠損のない人間」であることを求められ続けてきた。いい加減に疲れ果てたのではないか。感情の起伏も、体調の起伏もないものとして扱われすぎたのではないか。「欠け」や「割れ」や「ひび」がない人間なんて一人もいないのに、それらがないことを前提にしてずっと扱われてきたのではないか。

「欠け」や「割れ」や「ひび」のない商品を求めるあまり、わたしたちも、それらのない完璧な商品として労働市場で販売されてきたのではないか。

プラスチック社会

割れないことや崩れないことや老いないことを、今のように過剰に要求される社会は、息苦しい。「健常者」という存在もしない理想像を追いかけるのに疲れる。もういい加減にそんなテカテカの社会のちゃぶ台をひっくり返したい気持ちに多くの人たちがなっているのではないか。自分に金継ぎをしてほしいと願っているのではないか。

人間の「金継ぎ師」がいれば、自分の機能にほころびが生まれても安心だ。今、わたしの内面を少しだけ観察しても、ヒビ、キズ、欠けが満載で、無理にふさごうとするも破れかかっている。ましてや、継ぎはぎ能力に欠ける小中学生は、「割れ」や「ひび」をセメントで塗り込めて、自分を取り繕っている。

あげくの果てに、子どもたちは、自分を商品化する最後の儀式として「就職活動」のときに、髪を黒くして、ひっつめて、黒い服と黒い靴で、身体を装備するのだが、これも「商品」の外見にあらわれる「割れ」や「ひび」を分析する時間を省くために開発されたシステムのように思える。

さらに、わたしたちの社会は、過労死さえもたらすほど厳しい経済競争(とそれの前哨戦としての受験戦争)に勝てる精神力を持つ人材だけではなく、目まぐるしい流通と消費に耐えうるような、容易には分解できない大量生産品に依存してきた。鉄筋コンクリートとプラスチックはその最もわかりやすい素材だろう。それらのゴミは、再利用されることは少なく、ほとんどが分解されないまま、地球上の海岸の埋め立て地や、削った山に投棄されている。

マイクロプラスチックを摂取する海魚の仔魚(写真:BIOSPHOTO/時事通信フォト)

原子力発電所で生まれる大量の放射性廃棄物、いわゆる「核のゴミ」もまた、徹底的に地球によって分解を拒絶されるものとして知られている。

高レベル放射性物質については安全な状態になるまで最低でも10万年程度かかるため、容器を密閉して地中深くに埋蔵する「地層処分」という方法が国際的に認められる。

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