「認知症などで何を服用しているか本人がよくわかっていないような状況では単純に中止することもあります。睡眠導入薬服用の自覚があり、睡眠状態も良好ならば、転倒などの危険性など話して減薬を提案しますが、患者さんが同意しない場合もあります。
この場合は医師、看護師、施設スタッフの了解のもと、転倒リスクなどを評価したうえで形状が似たプラセボに変更します。プラセボの場合は副作用は起きないことが前提なので、患者さんのご家族への連絡は事後報告になることが多いですね。
これで問題がなければ、そのままプラセボを服用してもらいながらその中止を目指しますが、実際にはプラセボのまま服用が続くケースは少なくありません。プラセボ変更後に不眠症状が表れてしまう場合は頓服として戻すか、筋弛緩作用の弱いほかの睡眠導入薬に変更するなどの対応をするようにしています」
ちなみに杉本氏によると、プラセボを服用していた患者に対して後に「あれはプラセボでした」と明らかにすることはないという。薬の服用を必要とする症状がないのにデパス(エチゾラム)をやめられない常用量依存について、医師や薬剤師はよく「患者さんにとっては薬が『お守り』状態になっている」と表現する。気づかない間に中身のないプラセボに変更されても服用を続ける人が存在する現実は、まさにこの問題の深刻さを物語っているともいえるだろう。
今回の取材で当事者からはさまざまな声が飛び交った。
「実態がわからない薬物依存症とは必ずしも言いがたい常用量依存」
「依存しつつもこの薬で命をつないでいる」
「患者はなんでも薬で解決しようとする」
「『必要悪』のような薬」
ここでいう「当事者」とは、不眠や痛みを早く改善したい患者だけを指すのではない。症状に苦しむ患者を何とか早く改善してあげたいと考える医療従事者、薬効の高い薬を世に出してブランド力を高めたい製薬企業、発売後に本格化した法規制を担った厚生労働省。
これらステークホルダーたちが、みな課題を解決したいという「善意」を持ちながらも、それぞれに抱える「事情」との兼ね合いの中でどうしても埋められない「空隙」が生まれていた。その空隙を、魔法のように埋めてくれるように見えたのがデパス(エチゾラム)という薬だったのではないか。しかし埋められたように見えたのはうわべだけで、実は、空隙はより深くなってしまっているのかもしれない。
まさに「地獄への道は善意で舗装されている」かのごときだ。この構図の中には、絶対的にも相対的にも正義の味方も悪の化身もいるようには見えない。
松本俊彦医師との一問一答
そこで最後にこの問題に長く向き合ってきた国立精神・神経医療研究センター精神保健研究所薬物依存研究部長の松本俊彦氏との一問一答で本稿を締めくくりたい。
──正直、これだけ問題があるデパス(エチゾラム)がなぜ1980年代に発売されてから最近まで30年間も向精神薬の指定を受けずに放置されてきたのかは不思議に思います。
やっぱり発売当初は「いいお薬だ」とみんなが思っていたと思います。医師でも飲んでる人が多かった、「夢の薬」でした。頭がぼーっとしないし、肩こりが取れてスッキリして、切れ味がいい薬として重用されていました。筋肉を弛緩させてくれるから、頭痛の中で多い筋緊張性頭痛とか、ある種の腰痛症とか、肩こりとかの症状も和らげてくれます。精神科だけではなく整形外科や内科などいろいろな診療科で処方したいというニーズがありました。
薬を出すと患者さんからも喜ばれる。「あの先生が出してくれた薬はよかった」と、いいお医者さんと見られます。ある意味で医療機関として安定した顧客を得ることができるというところもあったと思います。
「デパス(エチゾラム)まずいよね」というコンセンサスが出始めたのは1990年代の終わりから2000年くらい。一部の医者は内心でそう思ってなんとなく使用を避けていました。公式にデパス(エチゾラム)のことをまずいよねって言い始めたのは多分、私たちが調査データを公表した2010年くらいだと思います。そしてようやく向精神薬指定を受けたということだと思います。
──このデパス(エチゾラム)問題は具体的にどのように対処していけばよいのでしょう?
私は一般内科の医師の研修会などでデパス(エチゾラム)の危険性について話すときに「新規処方はやめましょう」と言いますが、「デパス(エチゾラム)をすでに飲んでる人に処方するな」とは言わなくなっています。これまで診察が5分で終わっていた患者さんが、薬をやめる話をすると1時間も長引いて、結局、薬を出してくれる優しいお医者さんのところに行ってしまう。何も問題が解決しないのです。だから新規に処方しないことしかないかなと思うことがあります。