手取り15万円を超えられない47歳男性の深い闇 30歳から非正規雇用の仕事を転々としてきた

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このときの雇い止めが原因で、ケンタさんはメンタル不調に陥ってしまう。病院で、うつ病と診断された。さらに、別の大手飲料メーカー子会社の契約社員になったが、うつ症状がぶり返し、1年もたなかったという。

食べていけるだけの給料が欲しかった

その後は大手自動車メーカー系列の販売店で、洗車を担当するパート社員になった。ここでは、まじめな仕事ぶりもあり、正社員との関係も良好だった。顧客から洗車が丁寧だと感謝されると、整備士たちは必ずそれをケンタさんの耳にも入れてくれたという。

問題は給料の低さだった。毎月の手取りは14万円ほど。年末年始やゴールデンウィークなどの大型連休時に店舗が休みになると、手取りは10万円を切ることもあったという。

とても暮らしていけない――。大型連休中に数日でいいから、別の年中無休の系列店で働かせてもらえないかと、上司に直談判したが、色よい返事はもらえなかった。やむをえず、パン工場でアルバイトを始めたが、洗車は基本中腰、パン工場は常時立ちっぱなしということもあり、体がもたなかった。しんどさのあまり、アルバイトを辞めてみたら、危うくその月の家賃を滞納しかけたという。

体がボロボロになるまでダブルワークをするか、家賃を滞納してでも洗車1本でいくか――。悩んだ末、洗車の仕事を辞めて別の仕事を探すことにした。

「働き続けたかったです。仕事は評価されていたと思います。辞めると言ったとき、上司は引きとめてくれましたから。だったら、食べていけるだけの給料が欲しかった……。パートは、事務職も、洗車担当者も、みんな同じような待遇でした。以前、パートが何人か集まって、給料を上げてほしいと、上司と交渉していたのを見たこともあります」

洗車で働き続けたかったが、食べていけるだけの給料をもらえず、悩んだ末に退職したケンタさん(筆者撮影)

その後、ハローワークで1年更新で60歳定年という仕事を見つけたので、面接を受けたところ、その場で契約期間は最長5年と告げられた。ケンタさんは、5年を超えて働くと、無期雇用になれるという労働契約法18条について知っていた。面接官にも、ハローワークの担当者にも「この条件はおかしいのでは」と訴えたが、いずれからも聞き流されて終わりだったという。

もともとかかりつけの精神科医からは「まだ仕事をするのは早い」と止められていたところを、将来への不安と焦りから、無理をして就職活動をしたのだった。定年まで働けると期待して応募したのに「いつ捨てられるかわからない」と思うと、再びメンタルが悪化。ここでは2カ月ももたなかった。

これが、ケンタさんの30歳以降の“キャリア”である。ケンタさんが正社員なら、腰痛やうつ病で即失業ということはなかっただろう。また、「3カ月空けての再契約」や「5年で雇い止め」は、会社による脱法行為である。

新しい働き口はすぐに見つかるわけではなかったから、断続的に生活保護も利用してきた。「生活保護をもらうのは恥ずかしいという気持ちはあります。でも、もっと恥ずかしいのは、目いっぱい働いても、身体的、精神的に限界まで働いても、収入が生活保護(水準)に届かないことです」とケンタさんは言う。

ところで、ケンタさんは30歳になるまで、何をしていたのだろう。

ケンタさんの父親は、東京都内で小さな会社を経営していた。ケンタさんは高校卒業後、電気設備工事の施工図などを書く仕事に就いており、25万~30万円ほどの月収を得ていた。しかし、そのころ、父親の会社の資金繰りが悪化。両親から頼まれるまま、給料のほとんどを手渡し、さらには消費者金融から借金もした。しかし、結局会社は倒産。ケンタさんに残されたのは、400万円を超える借金だった。

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