日本人が知らない、もう1つあった「太平洋戦争」 独立から利権争いに発展してしまった悲劇

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戦争はブエノスアイレス州長マヌエル・ドレゴが継続しますが、1828年8月に元々この地に野心のあるイギリスが停戦に介入し、バンダ・オリエンタルを「ウルグアイ東方共和国」という名で独立させることを提案しました。イギリスの提案に両国は渋々合意し、イギリスが漁夫の利を持っていってしまいました。

新生国家ウルグアイでは、独立後すぐに独立闘争の仲間であったリベラとオリベの確執が激しくなりました。リベラ派が赤の記章のコロラド党、オリベ派が白の記章のブランコ党を結成。コロラド党は都市部、ブランコ党は農村部を支持基盤とするようになりました。

ブラジルVSアルゼンチンの代理戦争「ウルグアイ戦争」

そしてこのウルグアイの党派抗争が、アルゼンチンの中央集権派と連邦派の争いと連動。コロラド党は中央集権派、ブランコ党は連邦派のアルゼンチン大統領ロサスと結合しました。1838年7月、ウルグアイでコロラド党のリベラが大統領に就任。しかしアルゼンチンのロサス大統領はこの政権を承認しようとしなかったため、リベラはフランスの支援を得たうえでアルゼンチンに宣戦布告します。ウルグアイ戦争の勃発です。

この戦いでは、序盤はリベラ軍がオリベ軍をアルゼンチン領に追い詰めるも、アルゼンチン軍の介入でリベラ軍はウルグアイ領内に追い詰められていきました。オリベ軍は1845年2月に首都モンテビデオを包囲。リベラは3月にブラジルに亡命しオリベが大統領に就任しました。ここでバンダ・オリエンタルへの野心をいまだに持つブラジルが戦争に介入。アルゼンチンの自由主義者ウルキーサを支援しウルグアイに侵攻させ、1846年2月にアルゼンチン軍を撃破しました。

一方、アルゼンチンのロサス大統領はウルグアイのアルゼンチンへの併合決議を強行したため、ブラジルは先手を打って1851年にウルグアイに介入しオリベを追放、コロラド党のリベラを政権の座に就けました。また、アルゼンチンにも介入しウルキーサを支援。ウルキーサは1852年にロサスを敗走させアルゼンチン大統領に就任しました。

ウルグアイ戦争は結局、ブラジルが支援するコロラド党が勝利するも、その後も両党の争いは終わりをみせず、アルゼンチンとブラジルの介入もあって内乱状態に突入していきます。

次ページブラジルによる近隣諸国への一連の介入は…
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