大学時代の父親の急逝で社長への準備が始まる
湧永は製薬会社の跡取りの長男として大阪で生まれ、「いつかは社長に」と望まれていることを認識はしていた、と子供の頃のことを語る。
しかし、具体的に父親と仕事の話などをすることはなく、父親の死までは、通っていた大学の体育会のアイスホッケーに明けくれる普通の大学生活を送っていた。
大学2年生(21歳)のとき、父親の急逝によって、自身の意識や生活が一変することになった。その2年前には祖父が亡くなっており、祖父、父の相次いだ死によって製薬会社の創業家の家長として、社長になる準備を始める決意をしたのだ。
それまで続けていたアイスホッケー部を辞め、学業のかたわら、経営者として必要と思われる会計や簿記などを学び始めた。また、週に一度、縁のある経営者らに社長として必要な学びは何かを聞いて歩く日々を始めたのだ。
当時を振り返りながら湧永はこう語る。
「生前、父は、はっきりと私に次の社長になってほしいとは言っていませんでしたが、それを期待されていることは感じていました。将来を見据えて大学を選択したり、英語の勉強をしたりするなど、ある程度の準備はしていましたが、そうはいっても父の死までは、本当に何も考えていなかったに等しかったです。
しかし父の死によって近い将来、自分自身が社長になることがはっきりした時点で(当時は叔父が社長を務める)、自分が何をしなければならないかを必死に考え、社長としてのあるべき姿を設定し、そこと現在の自分とのギャップを埋めようと無我夢中でした。
当時の友人たちからは、自分のそんな状況や境遇をみて、悲壮感が漂っていたと言われましたね。ずいぶん気も遣ってもらいました」
▼田久保の視点
将来どうなっていたいか、どうなっているべきかなど、クリアなイメージを持つことは極めて重要だ。そして、描いたイメージから逆算して、では今何をしなければならないのかを考え、それを確実に実行していく。目標設定は、高いモチベーションを維持することに大きな影響を及ぼすのだ。
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