第2次世界大戦中、武田化成は南方戦線で軍需品だった抗マラリア薬などの製造で栄えたが、1946年に吉富製薬に商号変更して武田薬品(1943年に武田長兵衛商店から商号変更)から独立。以後は精神科という国内の製薬業界ではニッチな領域に強みを持つ製薬会社として成長する。そうした中で生み出された製品の1つがデパスだった。
1990年8月に刊行された同社の社史『吉富製薬五十年の歩み』では、第7章「新経営体制のもと(昭和55~59年)」の第3節「業績を上げた新製品」にデパスが登場してくる。ここでは抗不安薬と睡眠導入薬を合わせたような広い適応を持つことを解説した後に次のような記述が出てくる。
デパスの登場で吉富製薬の立場が一変
「発売以来、当社が得意とする精神科領域はもちろん、その他の領域でも高い評価を得、売り上げは好調に伸び、主力製品の一つに育っていった。(昭和)61・62・63年度には、わが国抗不安薬市場で売り上げ第1位を占め、この市場での当社の地盤形成に大きく貢献することになった」(『吉富製薬五十年の歩み』より)
この国内抗不安薬市場で第1位となった当時のデパスの年間売上高は約40億~60億円。国内の医療用医薬品市場では年間売上高100億円を超える製品も少なくない中ではかなり小粒だ。しかし、今以上に患者が精神科受診に高いハードルを感じていたがゆえに精神科の治療薬自体がそれほど使用されなかった当時としては、これでも存在感は大きかった。
旧吉富製薬の社員だった人物は次のように振り返る。
「吉富製薬というと精神科の医師の間では存在感がありましたが、それ以外の診療科では『どこの会社?』なんて言われることもありましたね。それがデパスの登場で一変しました。
いままでほとんど縁がなかった整形外科をはじめとする診療科でも使われ、間違いなく会社の知名度アップに貢献したと思います」
その後、吉富製薬は国内製薬業界での合併に翻弄される(次ページ図)。1998年のミドリ十字の吸収合併は、非加熱血液製剤による血友病患者でのHIV感染、通称「薬害エイズ事件」で業績が悪化していたミドリ十字の事実上の救済のためだった。