山手線、1周で実は6つの「峠」を越えている かつてはトンネルも存在、新宿が「最高地点」

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山手線沿線のこうした地形は、川や切り通し、築堤などに注意しながら車窓を見ていると、かなり実感することができる。その成り立ちは江戸時代までさかのぼる例もある。

大都市へと発展した江戸の町。そこでの最大の土木事業は、江戸城など軍事上のものを除けば、上水道の工事だった。人口増加に伴い、飲料水と生活用水の確保が必須だったためである。

上水道工事の最大規模のものは、江戸幕府が開かれてから50年目の1653年に完成した玉川上水。奥多摩の山間部への入り口にあたる羽村で多摩川から水を取り入れ、江戸の市中西端付近の四谷大木戸まで約43kmの水路を造り上げた。玉川上水本流から枝分かれする支流も、以後多数造られた。

大プロジェクトは水道から鉄道へ

文明開化、明治の時代になり、東京での最大規模の土木工事といえば、鉄道の敷設である。線路を敷くために築堤を築いたり、台地を切り崩したり、現在の田町―品川間では海を埋め立てたりした。当時の技術では難工事の区間も多かった。

支流も含めて「玉川上水」と「鉄道」がクロスするところ、すなわち江戸時代と明治時代を象徴するものが出会う所に、現在から思うと意外なものが造られた。

それが目黒駅付近にあった先述の永峯トンネルである。かつて山手線には、目黒と田端(道灌山)の計2カ所にトンネルがあったのだ。煉瓦アーチが美しいしっかりとした造りで、あたかも明治時代の鉄道技術者が、江戸時代の土木技術者に敬意を払っているように感じてしまうほどのものである。

明治末年頃の目黒停車場付近。駅の南側にトンネルがあり、上を三田用水が横切っている(『東京市近傍郡部町村番地界入地図』より)
山手線目黒駅付近の永峯トンネル(山手線複複線開通記念絵葉書より)

山手線のほぼ西側半分(品川―新宿―目白)は1885(明治18)年に開通する。目黒駅も同年に開業した。このときは池袋―田端間が未開業で、目白からそのまま北へ向かって赤羽までの区間が開業している。

目黒駅(駅舎のある部分)は、花房山の高台(台地)に位置し、南隣の五反田駅は目黒川沿いの低地に立地している。そのため五反田方面から目黒に向かうと、行く手を遮るように山が現れる。現在の線路はそこを深い切り通しで抜けている。

開業時は、現在埼京線や湘南新宿ラインの電車が通る旧山手貨物線部分だけがあり、ここに長さ37mの永峯トンネルが造られていた。特筆すべきことは、このトンネルは関東で初めて造られた鉄道トンネルだった点である。

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