山手線、1周で実は6つの「峠」を越えている かつてはトンネルも存在、新宿が「最高地点」

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ではなぜ、当初はトンネルを掘ったのだろうか。目黒駅のある花房山周辺の高台に線路を通すためには、掘削して切り通しにすればいいわけだが、そのルートを横切る形で玉川上水の支流である三田上水(用水)が流れていた。

高台の地に水路があるのが不思議に思えるかもしれないが、自然の川は谷など低い所を流れるのに対し、玉川上水や三田上水などは、尾根伝いを通るように設計されている。

尾根伝いならその両側が低いので自然に周囲に水を供給できるし、水は一度低い所に達してしまえば、そこから上には流れていかないので、なるべく標高を維持しながら水路を造っていく必要があるためである。江戸時代、それだけ高度な測量技術があった。

この地点の鉄道敷設で、切り通しではなくトンネルとしたのには複数の理由があったと思われるが、大きな理由の1つとして、上を水路が横切っていることが挙げられるだろう。三田上水の水は貴重な生活・農業用水、後には工業用水として使用されている。

一帯の住民にとっては、水路に支障が起きては死活問題である。ただでさえ、鉄道建設には反対運動があった時代である。線路の上に木製の水道橋のようなものを通すのでは耐久性に問題があり、水路の下に煉瓦造りのトンネルを掘ったと考えられる。この三田上水の水は、目黒駅のすぐ上流では、陸軍火薬製造所(現防衛省諸施設)での水車の動力源、恵比寿ビール工場(現恵比寿ガーデンプレイス)での工場用水などに使用されている。

山手線以外にもある

切り通しでなくトンネルとした例は、実は目黒付近だけではない。たとえば、中央線四ツ谷駅のすぐ市ケ谷寄りにもかつては長さ約26mの「四谷隧道」という名称のトンネルがあり、その上を玉川上水終点の四谷大木戸から皇居半蔵門方面への水路が通されていた(線路に並行する外濠部分は、樋による水路が架けられていた)。

中央線の上を流れる立川分水。現在は密閉式で水は見えない=2014年(筆者撮影)

また、現在も水が流れているものでは、玉川上水の支流である立川分水が、中央線立川―日野間の切り通し部分で金属製の樋によって線路を横切って流れている(数年前まで樋には蓋がなく水が流れているのが見えていたが、現在は密閉式の金属管となった)。このすぐ近く、明治時代の開業時は、水路のためと思われる煉瓦造りの立派なアーチ橋(通称・山中眼鏡橋)があった。

ちなみに日本で最初の鉄道トンネルである石屋川トンネル(兵庫県神戸市、現在の東海道本線住吉―六甲道間、1874年供用開始)も天井川である石屋川を潜るために造られている。上を水路が横切っている点で、目黒の永峯トンネルなどと同じである。

都心を走る山手線でも、地形と歴史の関わりについて、現在の車窓から観察できることが多いわけである。

内田 宗治 フリーライター、地形散歩ライター

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うちだ むねはる / Muneharu Uchida

主な著書に、『地形と歴史で読み解く 鉄道と街道の深い関係 東京周辺』(実業之日本社)、『外国人が見た日本 「誤解」と「再発見」の観光150年史』(中公新書)、『関東大震災と鉄道』(新潮社)など多数。外国人の日本旅行、地震・津波・洪水と鉄道防災のジャンルでも活動中。

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