なぜ人々は税や社会保障に不満を感じるのか 中間層を覆う21世紀の「社会の大病」の正体
ちなみに国際社会調査プログラムを見てみると、自分は「中の下」に属していると考えている人の割合が調査対象の38カ国の中で最も多いのが日本だ。自分の生活は厳しさを増している。以前より貧しくなった。だけど、ギリギリ「中の下」で踏ん張っている、そう信じたい人たちが大勢いる社会が日本なのである。
この「中の下」層のメンタリティーを理解している政党がどれくらいあるのだろう。つまり、富裕層やエスタブリッシュメントの利害を代弁するのではなく、あるいは貧困層の支援だけを語るのでもない、そういう政党が果たして存在しているのか。統計によっては無党派層が全体の4割、5割とも言われる現状から想像すれば、その答えはNOだというべきだ。
近年、未婚率が上昇し、出生率は低迷を続けている。加えて、持ち家率も団塊ジュニア世代よりも若い層で、明らかに低下している。人々は暮らしの豊かさをあきらめながら、なんとか「人並み」の暮らしを防衛しようと必死になっている。そうして、かろうじて維持されているのが僕たちの語る「中流」なのである。
現状がこのようであれば、人々は他者の暮らしに無関心になっていくのではないだろうか。これは臆測ではない。僕たちの作った財政を一目見ればわかる。
OECDの報告書によると、給付によって格差を是正する力は先進国21カ国のなかで下から3番目、富裕層への課税を通じた格差是正力は最下位である。
それだけではない。世界価値観調査によると、国民の約4割が「他人を犠牲にしなければ豊かになれない」と回答している。自分の幸福が他者の犠牲のうえに成り立つと考える人たちが4割を占める社会。社会の分断状況は深刻だ。
別に平成が暗黒の時代だったと切り捨てたいわけではない。だが、平成の31年間を経て、僕たちは今日より豊かな明日を展望できない社会、「一握りの誰か」ではなく「大勢の人たち」が将来不安におびえる社会を生んでしまった。
新たな国家ビジョンを論じるとき
自己責任の重圧にもがき、多くの人たちが将来を見通すことのできない社会。ではそのような社会で望まれるのは、いったいどのような政策なのだろうか。
世界価値観調査によれば、「国民みなが安心して暮らせるよう国は責任をもつべき」という問いに対して8割近い回答者が賛成の意を示している。
そう。自分とは縁のない「貧乏なだれか」を救済する政策ではなく、自分も含めた「みんなの暮らし」を保障する政策――まさにこれこそが新しい社会を構想する際の肝となるのだ。
河上肇は『貧乏物語』のなかで、石川啄木のかの句を引きながら、働いても暮らしがちっともよくならない状況を「20世紀における社会の大病」と表現した。それから100年ちょっとを経た現在、僕たちは再び、勤労が暮らしの安心と結びつかない「21世紀における社会の大病」を抱え込んでしまったようだ。
しかしそれは河上の想像した「貧乏」とは違う。終戦直後の貧しさの記憶や体験は、人々の脳裏から消えた。貧しいとされる人たちでさえ、かろうじて生きていくことのできる時代になった。そして、困っている人、貧しい人への支援、この当たり前の政策が、自分は中間層だと信じたい多くの人たちの反発を生んでいる。
僕たちは新しい「社会の大病」にどう立ち向かうのか。問いは付け焼き刃の救済策をはるかに越えている。勤労国家に代わる新たな国家ビジョンを論ずべき時代がいよいよやってきたのだ。
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