京都市民が嘆く「舞妓パパラッチ」の悪行三昧 観光客は舞妓にとって「危険な存在」でもある

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日が落ちる頃、舞妓さんたちはそれぞれ呼ばれたお座敷へと向かう。よく見てみると舞妓さんや芸妓さんの名札がかけられた屋形の前に、カメラやスマホを持った外国人観光客が人だかりをつくっている。どうやらここから舞妓さんが「出動」することがわかって待ち受けているらしい。

また通りを見ていると、10センチ以上もの高さになるおこぼ(下駄の一種)を履いた舞妓さんが駆け抜けるように歩いていくのを(忙しい彼女たちはとにかく歩くのが速い)、24時間テレビのマラソン中継さながらに並走しながら動画を撮影している観光客も1人や2人ではない。

そしてタクシーが止まるたびに、今度こそは舞妓さんが乗り降りするのではないかと期待した観光客が集まってきてタクシーを囲み、バシャバシャとシャッターを切る。

花街とはそもそもどのような場所であったかを知っている人間からすると、あぜんとするような光景である。こんなふうに舞妓さんを執拗に追いかける観光客たちの様子を見た誰かがこう言ったらしい。

「まるでパパラッチじゃないか」

近年、祇園で問題となっているのが、このような舞妓さん目当ての外国人観光客による数々のマナー違反行為である。

無遠慮な撮影攻勢に始まり、声かけ、着物にさわる、カメラやスマホを向けてのつきまといなどその種類はさまざまであるが、いつしか、これら舞妓さんを襲う外国人観光客のマナー違反行為の数々を総称して「舞妓パパラッチ」と呼ぶようになった。さきほどの高札が警告していたのは、このような、舞妓パパラッチに対する注意喚起なのである。

舞妓さんの着物を破られた、衿元に煙草の吸殻を投げ入れられたなど、にわかには信じられないようなひどい話を耳にする機会も増えた。この界隈に押し寄せている外国人観光客たちの存在は、彼女たちにとってもはや迷惑どころか「危険」な存在になっているといえるだろう。

舞妓さんも「生身の人間」だ

もともと歴史的景観地区として花街らしさを生かすように整備され、伝統的な花街の風情を残す建物が並ぶ通りなのだが、通りを埋め尽くしてわが物顔で座り込んだり舞妓を追いかけているのは花街には場違いな観光客たちである。

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例えばディズニーランドは、セットからスタッフまで完璧に統一された世界観を構築していることで有名だが、あの空間で唯一、ディズニーの世界観に合致していない場違いな存在は客である。祇園・花見小路の町並みと、通りを埋め尽くすカジュアルな観光客たち。このちぐはぐさを見ていると、まるで自分がテーマパークの一角にいるような錯覚を覚える。

はるばる京都まで非日常を体験しに来た彼らも、自分が今テーマパークにいるように感じているのかもしれない。ディズニーランドでミッキーの登場を待つように、彼らはこの通りで舞妓さんの「登場」を待っているのかもしれない。

しかし、京都で暮らす人々にとってこの街は生活の場であり、日常であり、紛れもない現実である。日々の暮らしのなかで、昼夜を問わず「舞妓パパラッチ」の猛威にさらされる彼女たちは、テーマパークで客を楽しませる着ぐるみのキャストではない。ここで仕事をし、生活をしている生身の人間なのである。

中井 治郎 社会学者

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なかい じろう / Jiro Nakai

1977年、大阪府生まれ。龍谷大学社会学部卒業、同大学院博士課程修了。京都界隈で延長に延長を重ねた学生時代を過ごし、就職氷河期やリーマンショックを受け流してきた人生再設計第一世代の社会学者。現在は京都の三条通で暮らしながら非常勤講師として母校の龍谷大学などで教鞭を執っている。専攻は観光社会学。京都府美山町や世界遺産・熊野古道をフィールドに、文化遺産の観光資源化と山伏についての研究を行う。

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