「中銀デジタル通貨vs.リブラ」の構図が鮮明に 「現状改善は既成権力が行う」という意思表示
今回、ECOFINが提案したデジタル通貨は欧州に特化した提案だが、こうした機運が米国、日本、中東、アフリカなど大まかな地域ごとに高まって来れば、いずれはカーニー案に結びつく可能性も想起される。
なお、リブラなどの暗号資産を支持する向きの中には「既存権力が非効率な暗号資産を発行するよりも、適切な規制を敷いた上で、民間の競争原理に委ねたほうが最適な効率性が実現できる」という意見もあるかもしれない。
一理ある考え方だとは思いつつ、問題は「論理的に正しい」と思えても「感情的に正しい」と思えるかどうかは別の話だということだ。上述したメルシュ講演では「貨幣とは公的な財であるため国家権力とは不可分の存在である。それゆえ超国家的な貨幣は人類の経験による堅実な基礎を持たない脱線(aberration)である」と主張された。つまり、リブラを筆頭とする民間企業による通貨発行を目指す動きは人類の歴史に対する挑戦であり、うまくいかない、という整理である。
政策当局者のみならず、法定通貨のユーザーである市井の人々においても、こうしたメルシュ理事の見方に同調する向きは多いのではないか。民間の競争原理に委ねて最高品質のデジタル通貨が仕上がっても心の底から信用できないのでは流通は難しいのである。
中銀デジタル通貨の議論はスピードアップしそうだ
やや大げさな言い方を承知で言えば、「人類として本心から受け入れられるかどうか」が大事と考えるべきだろう。例えば、リブラで言えば、リブラが流行すればするほど、その分配金がリブラ協会メンバーで「山分け」されている事実に必ず目が向かうはずだ。それでも「決済の利便性が向上しているからよいのだ」と割り切れるほど人々は合理的ではないと筆者も考えている。
ちなみに、リブラのような「民間主導の暗号資産を中銀デジタル通貨で封じる」という方針はすでに中国がデジタル人民元という形で声高にうたうところであり、その意味で今回のECOFINによるデジタルユーロ宣言は中国の後追いという見方もできる。次はデジタルドルもしくはデジタル円だろうか。
しかし、リブラはあくまで銀行口座を持たず、金融サービスにアクセスできない「unbanked」と呼ばれる人を念頭に置いた社会貢献ツールとしての位置づけが「売り」でもあり、その意味で欧米や日本の法定通貨がデジタル化しても計画自体の大勢に影響はないという見方もありうる(もっともそもそも承認されないので、それ以前に話にならないのではあるが)。
まずはリブラ計画の対抗軸として中銀デジタル通貨が浮上しており、その議論のスピードは相当に速そうであるという認識は持っておきたいところである。
※本記事は筆者の個人的見解であり、所属組織とは無関係です。
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