佐藤:反緊縮財政は「anti-austerity」ですが、「反・禁欲」となると、欲望のままにという感じで背徳の匂いがする。そもそも「赤字」といいますけど、赤は扇情的な色です。
中野:「財政規律」といったら気分がよくなるとかね。財政出動派の先生たちもそのことでは困っているようです。「借金は悪」という頭があるから、「国債を発行しろ」というと、みんな嫌な顔で反応する。
佐藤:「借りることは罪である」という概念がなかったら、返済が「贖罪」になるはずがない。金融危機に陥った国は、韓国であれギリシャであれ、IMFによって緊縮財政を強いられますが、あれも禁欲で罪を贖えということでは。占領中に成立したわが国の財政法が、国債の発行を原則禁止しているのも、これと無縁ではないでしょう。
中野:そうか、均衡財政は宗教だったんだ。確かにこの20年あるいは30年、まったく結果が出ていない中で、今も「緊縮、緊縮」といい続けているのは、理屈ではなくて何らかの信仰があったからなんでしょうね。
日本の財政の流れを変えるには…
島倉:何がなんでもプライマリーバランスの黒字化優先という日本の財政の流れを変えるにも、理屈だけでは無理なのかもしれませんね。
柴山:財政問題は、いつも道徳問題として語られますから。
中野:MMTを持ち出すまでもなく、主流派経済学の中でも、IMFのチーフエコノミストだったオリヴィエ・ブランチャードやノーベル経済学賞を取ったポール・クルーグマン、あるいはローレンス・サマーズらは日本に対して「消費増税はしてはいけない」とか、「財政出動すべきだ」と言っているんですよ。でも、それも聞こうとしない。
柴山:彼らも長期的には均衡財政の考えに立つので、MMTよりは受け入れやすいと思うのですが、世論が「財政健全化」で固まってしまった日本ではそれも難しい。
中野:おそらくずっと消費増税を唱えてきた人々にとっては、景気が悪化しているからといって、今さらそれを引っ込めるのは、政治的敗北だということなんでしょう。そこはマスコミも財界人も経済学者も皆同じ。失敗が見えてきたにもかかわらず意見を変えない理由は、自分の政治生命を守るためなんですよ。
佐藤:負けが見えているのに対米開戦したのと同じメカニズムですね。
中野:そのとおり。金解禁と緊縮財政をやって日本を恐慌にたたき込んだ井上準之助も、誰の目にも失敗が見えている中でも、死ぬまで「私が間違っていました」とは言わなかったそうです。それを言ったら、井上の政治的敗北だから。
柴山:思い返せばその当時、『東洋経済新報』主筆だった石橋湛山は反緊縮の論陣を張っていたわけで、いま東洋経済が『MMT現代貨幣理論入門』を刊行するのは、会社の伝統に忠実な選択といえるのかもしれません(笑)。
中野:MMTは実は、「モダン・マネタリー・湛山」の略だったのかも(笑)。
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