「新R25」の29歳社長が味わった補欠という挫折 サイバーエージェント新卒入社、子会社社長に
甲子園を沸かせた球児たちが全国から集まってくる東京六大学リーグでは、1年生の春から神宮球場デビューを飾る選手が少なくない。2018年に甲子園春夏連覇を果たした大阪桐蔭(大阪)の選手のうち、中川卓也 (早稲田大学)、宮崎仁斗、山田健太(いずれも立教大学)はすぐにレギュラーポジションをつかんだ。
しかし、ベンチ入りできる選手は 25人だけ。100人を超える部員を抱える野球部では、7割以上の選手がスタンドから試合を見ることになる。
野球部員としての活動期間が短く、甲子園出場という目標を共有しやすい高校野球と違って、大学では100人を超える部員全員が同じゴールを目指すことは容易ではない。もちろん、リーグ優勝がそれに当たるのだが、どれだけの選手が本気で取り組めるかどうか。プロ野球や社会人野球に進むために腕を磨く者もいれば、レギュラーとして試合に出ることを目指す者もいる。
一方で、ベンチ入りを諦め、目標を失ったまま惰性で練習をする選手も少なくない。
26歳の若さでサイバーエージェントのグループ会社である株式会社CA Young Labの代表取締役に就任した須田瞬海は、立教大学野球部に所属していたときには「圧倒的な補欠」だった。
「それまではずっと中心選手としてプレーしてきたのに、初めて補欠を経験しました。大学に入って感じたのは、求められて入るのとそうでないのとでは扱われ方が全然違うということ。それが1番のギャップでした」
筆者の最新刊『レギュラーになれないきみへ』の中でこう振り返っている。実践学園(東京)時代にチームの中軸を任されていたとはいえ、甲子園球児の中に入ってしまえば球歴は目立たない。1年浪人したこともあり、「その他大勢」のスタートになった。
ゴールも目標も見えない最後の1年
須田は、試合出場メンバーで構成されるAチームの下のBチームまで上がったものの、神宮球場でプレーすることはできなかった。
「負のスパイラルというか……負け癖って本当につくもんだなと思いました。2年の秋にケガしてから、1度もAチームには呼ばれませんでした。それ以降は、自分としては宙ぶらりんで、かなりしんどかった」
優勝を目指すチームの中で、目標を見失った選手の居場所はない。
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