(第22回)酒の話あれこれ・その2

山崎光夫

 酒は百薬の長である。だがこれは適量を飲んでいればの話で、飲み過ぎてへべれけ、ろれつが回らない、くだを巻くほどに飲むようになるともういけない。
 これが日常化するとアルコール中毒症と診断される。朝から茶碗に飯(めし)を盛らずに酒を満たす。
 ある酒飲みは言う。
 「酒を逆にして読んでみろ。どうなる?」
 「さけ」の逆なら「けさ」になる。
 「だろう。だから今朝から飲むものなんだ」
 我田引水もはなはだしい。
 こんな飲み方では酒が「百厄の凶」とも、「百悪の狂」ともなりかねない。

 「酒は天の美禄(びろく)なり」
と言ったのは、儒者であり医者の貝原益軒(1630~1714)である。酒は天から授けられたうるわしい俸禄(ほうろく[褒美])であるとした。江戸時代・正徳3年(1713)に刊行されたベストセラー健康啓蒙書『養生訓』の中で記している。

 益軒は続けて書いている。
 「少し飲めば陽気を助け、血気をやわらげ、食気をめぐらし、愁(うれい)を去り、興を発して、甚(はなはだ)人に益あり。多くのめば、又よく害する事、酒に過ぎたる物なし。水火(すいか)の人をたすけて、又よく人に災(わざわい)あるが如し」
 酒を少し飲めば、水や火が人間生活を豊かにし、一方で、飲みすぎれば水害や火災で災いをもたらすのによく似ていると比較している。

 その益軒は、この『養生訓』の中で、外国わたりの南蛮酒(なんばんしゅ)のような強い酒は飲んではならない。気をつけなさいと戒めている。これはおそらく益軒が京都で修業中に南蛮酒(ブランデーかウイスキーの類い)を飲んでこっぴどい目に遭った経験からくるようだ。
 実証主義者で体験を重んじる益軒の読者への注意である。

 では、益軒自身はどんな酒を飲んでいたのだろうかというのが私の長年の謎だった。その疑問を解決する愛用酒を『用薬(ようやく)日記』から発見した。この日記は晩年の益軒が自分の体調をどう整え、治療したかを記した、いわば、"益軒カルテ"である。この日記の中に愛用酒のレシピが記されていたので、私は材料を漢方薬屋から仕入れて自分で作って飲んでいた。時折、納豆や味噌を手作りする私にとって、材料を漬けこむだけの酒は簡単そのもの。面白半分、楽しんで作った益軒酒は、意外にも美味しいし、体調も良くなったので、友人や親しい医者にも飲んでもらった。なかなか評判も良い。

 そのうち、
 「どこかの酒屋に造ってもらったらどうだ」
という意見も寄せられた。

 しかし今の時代、300年も前の酒を復元するなどという酔狂な酒屋はいないだろうとと思っていた。が、ここに熱心、かつ酔狂な老舗の造り酒屋があらわれた。勝屋酒造(福岡県・宗像市)で、創業が寛政2年(1790)というからかなりの歴史を有している。
 益軒愛用酒は、日本酒に黄精(おうせい)、破故紙(はこし)、山梔子(さんしし)、紅花(べにばな)、大棗(たいそう)、山椒(さんしょう)、桂皮(けいひ)の7種の植物を漬けこんだリキュールで、薬用酒ではない。ほぼ原形通りに復元でき、その名も『養生訓』と名づけた。

 老舗が作った酒を何人かに飲んでもらった。
 「養生訓益軒さんもおったまげ」
と飲んだ感想を俳句?に詠んだ医者がいた。
 益軒さんが飲んだら果たして何と言うか。
 なるほど、おったまげるかもしれない。
 酒は半酔(はんすい)に飲めば長生の薬となると書いている益軒さん。私は『養生訓』もついつい飲みすぎて“全酔”になりがちである。“現代の益軒”を目指しているがまだまだ修行が足りないようだ。
山崎光夫(やまざき・みつお)
昭和22年福井市生まれ。
早稲田大学卒業。放送作家、雑誌記者を経て、小説家となる。昭和60年『安楽処方箋』で小説現代新人賞を受賞。特に医学・薬学関係分野に造詣が深く、この領域をテーマに作品を発表している。
主な著書として、『ジェンナーの遺言』『日本アレルギー倶楽部』『精神外科医』『ヒポクラテスの暗号』『菌株(ペニシリン)はよみがえる』『メディカル人事室』『東京検死官 』『逆転検死官』『サムライの国』『風雲の人 小説・大隈重信青春譜』『北里柴三郎 雷と呼ばれた男 』など多数。
エッセイ・ノンフィクションに『元気の達人』『病院が信じられなくなったとき読む本』『赤本の世界 民間療法のバイブル 』『日本の名薬 』『老いてますます楽し 貝原益軒の極意 』ほかがある。平成10年『藪の中の家--芥川自死の謎を解く 』で第17回新田次郎文学賞を受賞。「福井ふるさと大使」も務めている。
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