「女王」の跡継ぎはなぜチャールズ「皇太子」か 王国なのになぜ皇太子なのか歴史家が考察
そう思い直して見渡すと、奇怪なのはチャールズだけではない。サウジアラビアにも、やはりムハンマド「皇太子」がいた。サルマン「国王」の後嗣である。やはり君主の跡継ぎのみ「皇」の字にするのが、日本の感覚・風習らしい。
イギリスもサウジアラビアも同じとあれば、どうやら国を問わない。デンマークもスウェーデンも、アブダビもブルネイも、みな「皇太子」である。ヨーロッパの諸国は、いずれも「王」国なはずである。
かくて一口に君主といっても、時と場合によって、いろんな種別とその呼び方がある、ということにも、改めて気づいた。国王がいる。皇帝がいる。天皇がいる。そのこと自体、あまりにも当り前だから、ことさら意識もしない。しかしなぜこのように区別しなくてはならないのか。それはどのような作用を有しているのか。考えはじめると、なかなかに悩ましい。
翻訳の問題は切り離せない
「皇」と「王」とをこのように書き分けるのは、中身が別個のものだという認識が、根底に存在するはずである。まったく同質なら、字面を変える必要もない。
イギリスは女王、日本は天皇。同じく君主でありながら、称号が異なる、というのは、いったいどういうことなのか。君主の称号に、なぜ「皇」と「王」など、いろんな種類があるのか、そうした種別にいったいどんな意味があるのか。
しかも、その呼称はあくまで日本人が使う日本語での話である。チャールズ皇太子は、いうまでもなくイギリス人。本来の称号は当然、その母語で「Prince of Wales」と呼ぶのが正しい。これを「皇太子」と称するのは、日本人の都合・感覚・思考・論理である。
君主の称号を考えるにあたっては、このような翻訳の問題は、実に切り離せない。君主号がさまざまになってしまうのは、君主とその称号がどうであるか、それに加え、それを別の言語でどう訳して表記するか、にも起因する。だとすれば、その訳語・日本語の問題も考えなくてはならない。
さて、『裸の王様』という童話がある。幼少の頃、読んで聞かせてもらったのか、あるいは自分で文字や絵本を読んだのか。いずれにしても、「王様」ということばをはじめて知ったのは、おそらくこれによるもので、同じ経験をもつ人は少なくないだろう。
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