武蔵小杉をあざ笑う人々に映る深刻な社会分断 貧富の差以前に「同じ人」でなくなっている
「地震、爆撃、大嵐などの直後には緊迫した状況の中で誰もが利他的になり、自身や身内のみならず隣人や見も知らぬ人々に対してさえ、まず思いやりを示す」――そして、このような一時的な現象を「災害ユートピア」と名付けた。そこには、共同性そのものが成り立ちにくくなっている現状への批判が込められていた。
避難所のホームレス受け入れ拒否の波紋
これはいわば非常事態をきっかけにして、個人の自主性や社会的な役割が試される場であり、実際に「潜在能力」を発揮して救助や支援に奔走する人々が出てくる。
だが、ここで誤解してはならないのは、「地域のつながりらしきもの」が辛うじて残っていることが前提条件になることだ。つまり、普段から没交渉で住民同士が居住地をただ同じくしているだけでは「災害ユートピア」は立ち上がりにくいのである。
東京都台東区が避難所を訪れたホームレスの男性2人に対し、その受け入れを拒否したことがその後のネット上での〝賛否〟を含めて波紋を呼んでいるが、このような議論が湧き起こること自体が「社会の分断」が加速度的に進んでいることを如実に示している。もはや支援の手を差し伸べ、助けるべき「同じ人」としては映ってはいないのだ。
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