「かわいそうな人」と決めつけたくない
神奈川県の自然豊かな湯河原で育った山田さんは、英語か体育の教師になることが夢だった。
慶応大学環境情報学部1年生の時、体育の授業で男子バスケットボール部ヘッドコーチの佐々木三男教授に、「スポーツは競技だけではなく、コミュニケーションツールにもなる」と教わり、研究室に来るよう声をかけられた。そこで「バリアフリースポーツ交流会」に参加し、地域の障害者の人たちと競技をした。
「障害のある方々は毎日練習をしているので、すごく強いんです。左腕が使えない人に、そこをめがけてボールを当てたりする。それもひとつの特徴だからと手加減しない。健常者はかわいそうと思って弱いボールしか投げないのですが、そうすると、本気でやっている障害者の方々に怒られます」
山田さんは「かわいそうな人」と決めつけることを嫌い、一方的な援助というものに、強い違和感を持つ。それは、この体験が原点のひとつとなっている。
路上の子どもの親に言われた衝撃的な一言
大学1年生の11月、友達と遊びに出かけたサイパンで、砂浜でビーチバレーをしている客引きの男性2人に「一緒にプレーしよう」と声をかけられた。体育会系の山田さんは「もう血が騒いじゃって、ビーチバレーをして遊びました」。
その2人はサイパンに出稼ぎに来ているフィリピン人とバングラデシュ人で、サイパンだけでなく、自分の国も見てほしいと言われた。
興味を持った山田さんは、まずフィリピンに行き、そこで貧困層の厳しい生活を目の当たりにする。生活が苦しい家庭や家庭内暴力などで路上に追いやられる子どもたち。NGO(非政府組織)が路上の子どもを孤児院に保護していた。
バングラデシュにはODA(政府開発援助)の民間モニターに応募して行った。そこでは日本が巨額の援助をしていた。
「下からの支援」と「上からの支援」の両方を見て、山田さんは貧困層の子どもたちを、スポーツを通して何か支援できないかと考えるようになる。
年に何度もフィリピンに出かけ、大学4年生のときには半年間過ごし、路上の子どもたちとバレーボールやバスケットボールをして遊んだ。
「スポーツの教育をしている孤児院と、していない孤児院とでは、スポーツの教育をしている孤児院のほうが子どもの逃げ出す人数が少ない。協調性や忍耐力が育まれるからです」
スポーツを軸とする教育の可能性を信じ、その成果を卒業論文にまとめるつもりだった。
ある日、路上の子どもの親に怒られた。
「タカ(山田貴子さんのこと)が子どもと遊んでいるせいで、今日食べるご飯がない。遊ぶんだったら、おカネをくれるか、食べ物をくれ」
山田さんは衝撃を受けた。これまでやってきたことすべてがなくなったような感覚だった。
「私と子どもたちは楽しいけれど、もしかしたら大きな自己満足だったのだろうか? 彼らが本当に望んでいることは何だろう?」
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