「会計に無知」な経済学の大家が断罪される理由 アダム・スミス、マルクス、ケインズをも批判
日本では、1874年に板垣退助らが「民撰議院設立建白書」を提出しました。その中で、「政府ニ対シテ租税ヲ払フノ義務アル者ハ、乃チ其政府の事ヲ予知可否スルノ権理ヲ有ス」(納税者には、政府の事業について知る権利があり、それをするべきか、あるいはやめるべきか決める権利がある)と記しました。
二宮尊徳は、「暗君は取ることを先にし、国衰え、民は窮乏し、やがて国家は滅亡する」とし、「聖人の政は取ることを先にせず、これにより国は栄える」と述べました。主権者である納税者は、為政者の行いをウオッチして、為政者が約束を果たして支払った税が期待した効用をもたらしているか会計情報をもとに確かめなければならない、ということです。
会計の力を発揮して社会活動にも取り組む吉田氏
吉田氏は会計の力を発揮して権力を抑止するために、次のように憲法改正などの具体的な提案をしています。
吉田氏は、研究者であると同時に社会改革を目指す実践の人でもあります。今世紀初頭に公会計研究所と自由経済研究所を立ち上げ、税収の範囲で財政は運営されなければならない、として均衡財政を主張し、「子どもにツケをまわさない」というスローガンを掲げてさまざまな社会活動に取り組んでいます。
パチオリやペイトン、リトルトンなどを始祖とする近代会計学を学んだ人にとっては、ミーゼス、ハイエクなどの自由主義経済学にも造詣の深い著者の論考は新鮮でしょう。
さらに、日ごろ会計に興味をもっていない人も、吉田寛とともに人間行為の視点で太古から今日までを駆け巡ってみれば、新しい発見があるかもしれません。
ライト兄弟の1903年の初飛行をスミソニアン博物館に受け入れられるまでに45年の歳月を要したことは、パイオニアが評価する者に恵まれなかった事例として挙げられています。その他、蒸気機関車を走らせるトレシビック等、パイオニアの事跡の評価に多くの時間を要することも示されています。
吉田氏は、最初の著書『公会計の理論』で「日本公認会計士協会学術賞」という賞を受賞しました。主権者と権力者を分離する会計手法により、「子どもにツケをまわさない」ことを可能にすると提唱した吉田寛もまた、パイオニアであったのです。離陸に必要であった向かい風が、巡航を助ける追い風に変わることを願います。
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