「会計に無知」な経済学の大家が断罪される理由 アダム・スミス、マルクス、ケインズをも批判

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『市場と会計』は豊かさの生まれる場所を明確にしています。そこは、「ありがとう」が連続する場所です。『諸国民の富(国富論)』でアダム・スミスは、私有財産制と分業が世の中を豊かにするとしました。吉田寛は、これに加えて会計、「会」って功績を「計」る会計を加えるべきだと主張しています。

会計の歴史をひも解く本が書店にうずたかく積まれていますが、これらの書籍と異なるのは、東洋の会計の理解が、本書には織り込まれていることです。これにより『市場と会計』の会計の歴史は、他人の成果を利用する市場の誕生にまでさかのぼります。

会計が支えた交易と分業

自給自足の太古の時代が進化を遂げ、人は自分の得意とする物を作り、余剰品を欲しい物と交換するようになりました。会計の結果、効用が認められれば取引が成立し、やがて交換の手段として貨幣が使われるようになりました。

1対1の取引が発展して、お互いの余剰品を売って、欲しい物を買う場として市場が開かれるようになり、生産者と利用者は分離して、多様な人々が集まる市場はますます発展するようになりました。経済の視点でみると、私有財産制度と分業制度に支えられて市場経済が成立するようになったということです。

他人の成果を利用することでわれわれの生活は豊かになるということを人々は学ぶようになりました。他人の成果を利用するには2通りの方法があります。1つはお互いの合意による「交換」であり、もう1つが一方的に他人の成果を取り上げる「略奪」です。

市場は略奪を好みません。略奪が横行する地域からは取引が消え、市場もなくなりました。そこで、為政者は法律を定めて違反する者に刑罰を科して略奪を抑えるようになったのです。吉田寛は、余剰分析の手法を利用して取引と略奪の「効用分析」を示して、政府支出を抑制しなければならない根拠を示しています。

市場経済の発達につれて、人々は市場での取引を円滑にする言葉と尺度と貨幣に関わる知識を身に付けるようになりました。目の前にある財やサービスを利用するのであれば、会計は簡単でした。

しかし、財やサービスを将来受け渡すという約束に基づく将来の行為が取引されるようになると、「記録と計算」の要素が会計に加わりました。

さらに、経済行為の元手となる「資本」と経済行為を実行する「経営」が分離されるようになると、経営者の成果を計る新しい会計が必要とされるようになりました。

すなわち、経営者が最初に約束した「儲けます」という約束を守っていることを、あるいは守れないことを、会計が明らかにすることが求められるようになったのです。

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