私のなかでジワジワ響いた「家事育児は、日常生活の一部にすぎない」というセリフ。
その理由を考えて気づいたのは、日本での家事育児は「負担の大きいもの」「追われるもの」「ケンカやマウンティングの種になるもの」「男女不平等を実感するもの」と、ネガティブイメージを伴って語られがち、ということでした(なにしろこの連載自体がその問題を解決するためのものだし!)。
でも、このお二人が語る家事育児は、拍子抜けするほどに肩の力が抜けている。とはいえ、もちろんこのお二人だって、家事のささいなことでケンカしたり、子育てで悩んだりすることはあります。ただ、基本的な余裕が全然違う。それはなぜ?
アイスランドは男女で家事育児をする土壌がある
アイスランドには「残業が少ない」「男女格差が少ない」「育児に対する社会の理解が大きい」という大きな基本、土壌があります。
男性が育休をとりやすいということのほかに、家族のために会社を抜けることなども当たり前に理解されるし、預け先が見つからないときに子連れ出勤をするのも普通のことだそう。そういう土壌があるからこそ、家事育児が「つかれやケンカの種」ではなく、「ごく当たり前の日常生活の一部」になりえたのです。
前回記事では、アイスランドが男女平等を手に入れるまでの運動について紹介しましたが、そういう革命的で大変な活動の先に、こんな穏やかな生活があるんだな……というのは、私には1つの発見であり、希望のように思えました。
いまの日本では、男性が育休をとったり、幸せな家事育児分担を確立したりするのは、わりとハードルが高いことです。なぜなら、それを阻む障害が社会にたくさんあるから。
ただ、その障害を乗り越えた夫婦は、平和で穏やかな生活を送っていて、夫婦仲がいいことが多い。アイスランドは、それを国単位でやっているのだな、というふうに私は感じました。
というわけで、今回学んだつかれない家族になるヒントは……
↓
無理せず、思い詰めず、あせらず、でいこう。
そして、その先に待っている肩の力が抜けた平和な生活を思い描こう。
さて次回は、とても仲のいいこのご夫婦のコミュニケーションについてさらに掘り下げます。
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