アルバイトへの降格に、パワハラ、生活保護水準の賃金――。確かにひどい。ひどいのだが、同時に私には疑問も残った。なぜ、ユウジさんは抵抗しないのか。パワハラはもちろん、一方的な労働条件の不利益変更は原則、違法である。なぜ、ユウジさんは労働者として、当たり前の権利を主張しないのか。
私が最も驚いたのは、ユウジさんが現在、正社員として勤めている学習塾の「給与支払明細書」を見せてもらったときのことである。控除欄の「健康保険料」「厚生年金」「雇用保険料」が、すべて「0円」だったのだ。正社員なのに無保険状態――。違法なのではないか。私がそう指摘すると、ユウジさんはきょとんとした様子でこう答えた。
「えっと……。ゼロが多いですが……。それが問題なんですか? 違法なんですか?」
事業形態や従業員数などについて、ユウジさんから話を聞く限り、勤務先には社会保険の加入義務がある。これに対し、ユウジさんは「最初に、『社会保険は自分で払ってください』と言われたんです。違法とは思いませんでした」と振り返る。
正社員なのに、社会保険がないことを、つゆほども疑問に思わなかったというのだ。国民年金は免除申請をしているというが、正確には「同居してるおふくろがやってくれているので、よくわからない」と話す。
悔しかったけど、どうすればいいのかわからなかった
私は改めて、仮採用=試用期間中の解雇やアルバイトへの降格は、よほどの理由がない限り認められないこと、賃金カットなどの一方的な不利益変更は法律で禁止されていること、社会保険の加入義務の条件は法律で決められていることを指摘した。そして、なぜ、違法行為に対して抵抗しないのか、と尋ねた。すると、ユウジさんはこう反論した。
「誰も教えてくれないからですよ。こういうときはどうすればいいとか、これは違法だとか、学ぶ機会がないと……。『正社員にはできない』と言われたときも、ハローワークで紹介された会社がこんないい加減なことをするのかと、すごく腹立ったし、悔しかったけど、どうすればいいのかわからなかったんです」
私は脱力する一方で、確かにそうかもしれないとも思った。私自身、新卒で正社員として会社に入ったけれど、当時、もし試用期間後に解雇されたとしたら、自分の権利を筋道立てて訴えることができただろうか。たぶん、そんな知識も度胸もなかった。
パワハラに対抗できない理由について、ユウジさんは「中学時代に入っていた野球部の上下関係が厳しくて。先輩の言うことを聞かないと、金属バットで殴られるようなところでした。だから、上の言うことには絶対服従みたいな考えが刷り込まれてしまったのかもしれません」と言う。
よくよく考えてみると、責められるべきは「抵抗、反論しないユウジさん」ではない。なんなら、能力や適性の有無も、ユウジさんが「世間知らず」かどうかも、関係ない。いちばん悪いのは、このような働かせ方をする会社であり、それを野放しにする社会である。
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