山口絵理子が24→38歳の苦闘で掴んだ経営哲学 マザーハウスが社会貢献しながら成長する理由

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「かけ離れたものだからこそ、組み合わせてみよう。離れていた2つが出会ったことをむしろ喜び、形にしてみよう。これまで隔たりがあった溝を埋めて、新しい地を作ろう」
(山口絵理子著・『Third Way(サードウェイ) 第3の道のつくり方』より

山口の言う「サードウェイ」は2006年に24歳でマザーハウスを創業した当初ならば単なる理想論に捉えられたかもしれないが、山口はこの13年で、「途上国からブランドをつくる」という本来ならば相反する2つの要素の掛け合わせをその言葉通りに実現させてきた。

今や38歳の山口は、もはや意識高い系の若者が言いそうな単なる理想論を超えて、情熱を現実のビジネスとして成り立たせるための哲学や思考を確立させ、脂の乗り切った円熟した経営者としての迫力を見せている。営利を目的にしても社会貢献はできる。本業で社会貢献を達成することが、本当の意味での“社会起業”であることを山口は証明してみせている。

マイノリティーがマジョリティーと対等に戦う

それぞれに優劣ではない“よさがある”ということを信じて、ほかにはないすばらしい個性を見いだすことのできるそのパワーの源は、自身の原体験によるものであった。

「自分が抱いた仮説を、自分の人生で実験しています。それは、“お客さんも生産者も笑顔でいられるか”とか、“マイノリティーの人たちがスポットライトを浴びられるようにする”など、形勢逆転の実験をやってみたいと思ったのが、マザーハウスでした」

小学生の頃、いじめられていて学校に行けなかった経験から、「マイノリティー」として生きていたと山口は語る。

創業から13年。多くの困難を乗り越えてきた山口の眼差しは力強い(撮影:梅谷 秀司)

「バングラデシュに行って、自分の価値観が崩されました。人との優劣ではなく、生きることに一生懸命の彼らに、多くのことを教わりました。途上国にはスポットライトを浴びるべき人がたくさんいると思うのです。

数字の尺度ではなく、彼らの持っている個性や美しさが私の眼には強く見えています。彼らは国際市場では超マイナープレイヤーなので、スポットライトの当たるステージに上がってきません。そんな彼らを引っ張り上げるのが、マザーハウスであり私の使命であると思っています」

仲間の裏切り、人質テロ事件、国の非常事態宣言……。想像もつかないような困難の中、どんなにつらく逃げ出したくなっても、山口は諦めず、続けてきた。

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