ジャカルタが日本製「中古電車天国」になるまで 「中古車両輸入禁止」で今後はどうなる?

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今や鉄道会社自らが海外展開してゆく時代であるが、10年前と言えばそんな状況で、現地法人のサプライヤーなどの草の根的な活動の結果、細々ながら部品供給が行われ、なんとか稼働率の低下を防いできた。

円借款で建設されたデポック電車区も5年前までは大量の故障車両が留置されていた。中央手前の車両は1997年日立製のVVVFインバータ制御の電車(筆者撮影)

現在はKCIに対する支援体制を打ち出しているJR東日本でさえ、当初205系の譲渡が開始された頃には日本国内での受け取り検査、インドネシアでの不足部品の納入などに決して協力的とは言えなかった。今日のジャカルタの通勤輸送を支える205系ですら、部品取り編成となって営業に入らないものが存在していたほか、故障した車両を抜き取って10両編成を8両編成にしてしのいでいた。

ちなみに、輸送後のインドネシアでの車両立ち上げに対しては現在もなお支援しておらず、車両としての保証なしというのは一貫しているように見える。

支援体制構築で大きく変化

風向きが変わるのは、そのJR東日本が2014年にKCIとの間で相互協力の覚書を締結してからだ。KCIにJR東日本社員を出向という形で置いてからというもの、部品メーカーが表敬するがごとく次々とジャカルタを訪れるようになった。手のひらを返すような方針転換ぶりには、過去の対応を知る筆者にとって違和感を禁じえない。

車内放送やドア扱いを行ういわゆる車掌が乗務しだしたのは2013年から。従来はドアに荷物が挟まろうとお構いなしで発車していた(筆者撮影)

KCIの現場社員たちは、300両、400両と増えてゆく保有車両を苦労を重ねながらもなんとか守ってきた。そして、ビジネスパートナーとして認められるよう、良好な輸送サービス、健全な会社運営を目指してきた。JR東日本がジャカルタの通勤輸送サービスを一気に向上させたのは紛れもない事実であるが、同社に海外展開の場として選ばれたのは、KCIの自助努力の賜物である。

どんな経緯であれ、ここに支援体制が構築され、40年以上かけて成しえなかった通勤鉄道運営の健全化がわずか数年で達成された。ODAプロジェクトとして導入された車両がすべて廃車された中で、それよりも古い中古車両が現役で活躍しているとは何たる皮肉だろうか。

そして、1000両もの中古車両の存在は部品供給をはじめとした新たなビジネスチャンスを生み出している。「車両を安く売り、メンテナンスで稼ぐ」という世界の標準的な鉄道ビジネスのスタイルが確立されているのである。中古車両は今や立派な商材だ。そして、ジャカルタの通勤鉄道は鉄道インフラ輸出の数少ない成功事例として官民双方から注目を集めている。

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