「中3の2学期の途中ですし、退学してきてますから、内申書がつかないんです。ゼロです、ゼロ」
となると、望みがあるのは私立だが、私立もすべての学校がテスト一発勝負というわけでもない。こうして消去法でいくと、志望校にできるところはおのずと絞られてきた。中でも剛少年が目にとめたのは慶應の付属校だ。自由な校風が気に入っていた。
こうして気合が入り出した剛少年、それまでは受け身だった塾での姿勢も変わり始めた。SAPIXに加えて通っていたのは早稲田アカデミーの開成必勝コース。それだけではない。個別指導のトーマスの門もたたいた。これらは、高校受験を望んでいた母親に通わされていた塾だったが、退学後の通塾は、本人の意思が加わった。
「後がない」と焦る剛さんに寄り添うように支えてくれたのが、トーマスで出会った講師だった。皮肉にも彼は東大生だった。「教え方がものすごくうまかった。理解しやすいように説明してくれました」。
おかげで成績はやや上がり、偏差値は50台後半に。まだまだ志望校には届かない水準だったが、剛さんには「自分は今、誰よりも勉強をしている」という自信があった。受けてみなければわからない。とにかく勝負に出ようと決めた。
受験したのは開成、早大系の付属と、慶應系の1校。試験では力を存分に発揮した。早大系の高校では、自己採点で国語は満点、ほかの教科もまずまずの成績、これなら受かる!と思ったという。ところが、まさかの結果は不合格。
「やっぱり、内申点が関係していたと思います。低いのではなく、ゼロなので……」
慶應の面接ではこの点に加え、こんな質問が飛んできた。「なぜ11月に学校を変わっているの?」と面接官。剛少年の口からはとっさの方便がついて出た。「高校入試をするためにけじめをつけようと、いったん中退してやりなおしたかったので」。この答えがよかったのか、第1志望の慶應から合格をもらうことができた。
紆余曲折を経たからこそ自分の人生を歩むことができた
「このときも母親からはおめでとうとは言われなかったです。それどころか、入学しても“東大どうすんの?”って言われました。さすがにもういいだろうと、“うるせーよ!”と言ってやりましたよ」
高校では幼いときからやりたかった野球部に所属し、青春を謳歌した。息子を東大に入れるという母親の夢はあえなく散り、息子はそのまま慶應大学に進学、今は大手企業に勤務し、1児の父親となっている。
当時を振り返り、彼は何を思うのか。
「僕は中学受験では失敗しましたが、それでも勉強をやったという自負はあります。母親の気持ちに応えることはできませんでしたし、好きなことも我慢させられてきました。大きな問題も起こしてしまった。それでも今、母親には感謝していますよ。自分の子どもが中学受験をしたいと言い出したら、どうしたらいいか、あの経験を踏まえて、ちゃんと教えられると思いますしね」
母親がよかれと思って挑ませた中学受験。志望校に不合格になるという不本意な結果から、自主退学、高校受験という道のりは、10代前半の少年にとってたやすい道ではなかっただろう。
だが、この紆余曲折がなければ「東大ありき」という母親との関係が変わることもなかったはずだ。母親からみれば「失敗」と言われる過去も、なんとか乗り越えて社会人として第一線で活躍する今、剛さんにとっては糧となっている。苦い思いを噛み締めて、大人になった剛さんだからこそできる子育てを期待してやまない。
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