堀江貴文「所有欲が人を幸せにすることはない」 借金や泥棒してまで、遊んではいけない
そもそも所有欲とは、何だろう? 形があり、スペースを取られるものを、なぜ僕たちは欲しがるのだろう。持つということによる、喜びや安心は、本物なのか? 持っているものが、いつまでもそこにある保証は、誰がしてくれるのだろうか? 所有するという欲望の根本的な理由は、何なのか?
突きつめて考えていくと、哲学問答になりそうだ。所有欲は、人には誰にでも備わっているけれど、本質的には無意味だ。それは仏教や、世界中の宗教で説かれている真理なのだ。
所有で「得られるモチベーション」は一瞬
所有欲は、状況によれば行動のモチベーションにもなるだろう。でも所有欲が、人を幸せにすることはない。まず、ない。あるとしたら一瞬だ。
いままで持っていなかったものを、努力して持ったとき、その瞬間は満たされる。しかし、勘違いしてはいけない。それは「獲得」の喜びであって、「所有」とは違うものだ。所有する喜びと、獲得する喜びを混同してはいけない。
獲得は、ある意味で報酬になる。ノルマ達成や借金返済、投資回収など、ビジネスにおいての積み上げは、大事な獲得の作業と言えるだろう。しかし所有は、報酬ではない。
所有はリスクだ。失うことへの不安、管理の手間、執着心と、いくつものネガティブ要素を運んでくる。本棚に飾っておいたり、タンスにしまっておける程度の大きさのものならいいけれど、持ち運びに難儀したり、持っているだけで出費を強要されたり、何らかの制限が付随してくるようなモノは、リスクでしかない。
対処策は、1つだけ。ためらわず、捨てることだ。喜びはモノを所有しなくても満たせる。逆に、うまく手放していければ、本当に欲しいものへと手を伸ばすことができる。
いったん所有欲に縛られると、「あれが欲しい」「これを手に入れたい」と所有物のために働くようになり、本当に自分がやりたいことに、集中できなくなる。
所有物が価値を判断する基準となるので、自分が持っていないモノを持つ人をねたんだり、持っているモノを失うことを恐れたりと、心はまったく休まらなくなる。
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