「文系出身者の未来は暗い」と言い切れない理由 人文科学は経済的な意味でも学ぶ意味がある
こうした状況を受けて、親も子どもが人文科学を学ぶことを奨励しなくなっていますから、非常に由々しき事態と言えるでしょう。今、シェイクスピアを学ぶ19歳の青年がいたら、彼は「就職できるのだろうか」と思い悩んでいるかもしれません。
人文科学は経済的にも意味がある
ここで思い返したいのが、イギリスでかつて首相であったウィンストン・チャーチル氏の言葉です。チャーチル氏は、当時のイギリスが財務的な問題に直面していたことから、人文科学、あるいはアーツの分野にかける予算を削減しろと言われていました。
このときチャーチル氏は、「私たちの物語、声、劇場、こういったものに対する予算を切るとしたら、私たちはいったい何のために生きているのか」と語りました。私は、この言葉に勇気づけられています。
実際、人文科学は単なる“ぜいたく品”ではないのです。ここで、コンピューターサイエンスを勉強した人と人文科学を勉強した人の所得を比較した結果をお伝えしたいと思います。
2008年に『ウォール・ストリート・ジャーナル』が報じた大規模調査の結果によると、大学卒業後すぐの給与水準については、STEMとくくられる理系教育を受けた学生のほうが総じて高いということがわかりました。
ところが、全米の中途採用の高年収者5%だけに絞って見ると、実は人文科学を専攻した人のほうが理系を勉強した人より3倍もの頭数がいたのです。つまり、最終的には人文科学を専攻した人のほうが所得は高くなるという結果が見て取れます。
これはいささか単純すぎる例かもしれませんが、人文科学は経済的な意味でも学ぶ意味があるものですし、人間や愛、社会といった学びは、政治家など人を動かす立場の人にとっても重要なツールです。
私は、「人文科学を学ぶことで、世の中で活躍できる」ということを大人が伝え、実際にできる社会を作るということが大事だと考えます。そのためには、とにかく人文科学をもう一度アジェンダに引き上げ直し、政府としても予算を増やさなくてはなりません。
人文科学は攻撃されており、非常に危機的な状況ではありますが、今後はきっと変わっていくでしょう。というより、変えていかなくてはなりません。人文科学という非常に力強い学問を子どもたちに教えるとともに、大人も学び直す。そうした方向に進まなければ、未来の世界は悲惨なものになってしまうでしょう。
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