「文系出身者の未来は暗い」と言い切れない理由 人文科学は経済的な意味でも学ぶ意味がある

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現場の医師や看護師は、非常に忙しく、最新機能を理解する時間もありません。本当は役に立つかもしれない機能であっても、ほとんど活用されていない。このような現場の状況を知ると、「どういう機械が理想だったのか?」という疑問が浮かびます。もっとシンプルな機械のほうがよかったのかもしれませんし、人々の生活に溶け込む機能のあり方を考えるべきだったのかもしれません。

私は、最新機能の価値自体を否定するつもりはありません。ただ、実際の生活は必ずしも洗練されていないということは理解しておくべきではないでしょうか。そうした実態を目にすることは、優れた製品を生み出すうえでも大切なことです。

医療の世界の事例をもう1つお話ししましょう。先ほどの事例では医療現場を観察しましたが、患者の生活を観察したケースもあります。

患者が必要としていたのは「習慣」

これは、ある病院から「投薬のコンプライアンス」、つまり患者が指定どおりに薬を飲まない問題について、相談を受けたときのことです。

この問題に対して、医療現場の人たちは口をそろえて「情報を提供して、薬について教育をしなければならない」と答えました。そこで、私たちはこの考えが正しいのかを確認するために患者の暮らしを観察することにしたのです。

結果として理解したのは、患者が必要としているのは、情報や教育ではなく、“習慣化”であるということでした。いくら教育をしたとしても、習慣化できなければ、薬のことを忘れてしまいます。こうした洞察を得ることができれば、患者への情報提供や教育に取り組むのではなく、「朝のシャワーを浴びたら薬を飲む」といった習慣を根付かせる工夫が思い浮かぶかもしれません。

いかに優れたテクノロジーであっても、活用するのは人間です。だからこそ、人間を理解するというプロセスは非常に大切なのです。

今回の講演でお話ししたように、私は人文科学の価値を信じて疑いませんが、世界では今、人文科学は攻撃を受けています。北米においては予算が削減され続けていますし、大学で歴史や哲学を勉強している人の比率は非常に小さくなっています。

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