オスマン帝国がキリスト教徒と共生できた理由 イスラム世界における共存と平等を読み解く

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では、イスラム教は、ほかの宗教と本質的に変わらない存在なのでしょうか?「どの宗教も、目指すところはひとつであり、結局は同じ教えを説いているのだ」という意見を目にすることもあります。

こうした素朴な主張とは次元が違いますが、イスラム思想研究の大家である井筒俊彦さんの研究などを参照する限り、神秘主義的思想を高度に抽象化していけば、イスラム神秘主義・ユダヤ神秘主義(カバラ)・禅などに通底する思考様式が存在するのは確かなようです(井筒俊彦『意識と本質』岩波文庫、1991年)。

とはいえ、「どの宗教も、結局は同じ」と素朴にわかったつもりにしてしまうのは、やはり乱暴でしょう。宗教に限りませんが、人間の営みから誕生した事象は、一般性と固有性のふたつの面から考える必要があります。

宗教は人間活動のひとつですから、さまざまな宗教のあいだで共通の要素が存在するのは当然です。その一方で、それぞれの宗教は固有の歴史的な経験のなかから生まれてきたわけですから、それを無視するわけにはいきません。

クルアーンがすべてなのか

さて、それではその固有性はどこに求められるでしょうか? キリスト教が聖書を、仏教が仏典を核とするように、イスラム教の場合は、やはりクルアーンとハディースが基本となるでしょう。

これら権威あるテキストが、イスラム世界の歴史的あり方を規定してたことは否定しえない事実です。ここから一足飛びに、「クルアーンこそがすべてであり、これさえ学べばよいのだ」と主張する、やや俗な意見もないわけではありません。

しかし、やはりこれも極端な意見です。クルアーンやハディースの解釈はきわめて多様であり、どの解釈が選ばれるかは、多分に政治的・社会的文脈に依存しているからです。

『教養としての世界史の学び方』の第3章「『ヨーロッパ中心主義』が描いてきた世界地図」(山下範久)は、次のように指摘しています――19世紀に成立した近代的学問(19世紀パラダイム)は、アジアを、停滞し歴史の歩みが止まった地域とみなしていた、と。

これをイスラム世界に当てはめると、イスラム世界は硬直し不変の固定的な性格を持っているから、歴史的な変容は捨象しても構わない、という主張になるでしょう。こうした19世紀パラダイムは、クルアーンやハディースだけ学べばイスラム世界やイスラム社会がわかるという安直な認識と、深いところでつながっています。

こうした硬直化した認識の枠組みそのものを問い直すというのが、『教養としての世界史の学び方』が編まれた目的のひとつでした。こうした偏見の体系を離れて、イスラム世界を動的な、歴史的な相においてとらえることの重要性が、いま求められているのです。

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