次は私の妻の話です。ある日、妻がネズミの絵を描いていました。私がそれを見て「うまい」と褒めたら、彼女は「うまくない。だって、私、絵が下手だもの」と言いました。それで、私が「そんなことないよ。このネズミの絵、すごく上手だよ」と言いました。すると、妻は「絵のことで初めて褒められた」と言いました。
妻は絵に対してコンプレックスがあるようでした。彼女によると、小学校1年生のころ、担任の先生に「○○さん、絵が下手ね」と言われたそうです。そのとき、彼女は「あ、自分は絵が下手なんだ」と思い、大人になってからもその思いから抜け出せなかったと言っていました。絵を描くことについての能力を丸ごと否定されたわけであり、これは能力否定の言葉です。
これに似ているのが高見のっぽさんの話です。のっぽさんは、1970年から1990年にかけてNHKの子ども番組「できるかな」に出演していましたが、本人は「工作や絵は小さいときから苦手」と言っています。のっぽさんは、4歳のころ母親に言われた言葉がいまだに忘れられないそうです。それは、竹ひごを曲げて模型の飛行機を作っていたときのことです。竹ひごを曲げるのがうまくいかず、たくさんの竹ひごをムダにして、それが山積みになったそうです。
それを見て母親が、笑いながら「あんたみたいなぶきっちょな人は見たことないわ」と言いました。のっぽさんは、「この一言で、手先の器用さに対する希望をすべて失ったんです」と振り返っています。手の器用さという能力を丸ごと否定されているわけであり、これも能力否定の言葉です。
人格・能力・存在、どれも絶対に否定的に言ってはいけない
この能力否定の言葉も、絶対に言ってはいけない言葉です。私の妻も高見のっぽさんも深く傷つき、それ以来ずっと「自分は○○ができない」という思い込みにとらわれ、何十年も抜け出せないでいるわけです。
人格否定と能力否定は重なる部分も多く、この2つを明確に分けるのは難しいようですが、ほかにも次のようなものが能力否定として挙げられると思います。
お前は頭が悪い。お前には無理だ。お前にできるはずがない。運動神経ゼロだね。算数が苦手だね。字が下手。音痴。服のセンス悪いね。足し算もできないの? お箸もまともに持てないの? こんな字も読めないの? パソコンも使えないの? 片付けもできないの? 妹にできて、なんであなたにできないの? 弟を見習いなさい。1年生になって、そんなこともできないの? もう1度幼稚園に戻りなさい。
ここまで人格否定と能力否定の言葉を見てきましたが、これらと並んで、いやもしかしたらそれ以上にひどいのが存在否定の言葉です。これは、相手の存在そのものを丸ごと否定する言葉です。30代の長谷川さん(仮名)は、小学6年生のとき、父親に「子どもは2人でよかったんだけど、お前が生まれちゃったんで3人になった」と言われました。それを聞いた長谷川さんは、「自分は生まれないほうがよかったんだ」と感じて返す言葉がなかったそうです。
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