大平正芳 「戦後保守」とは何か 福永文夫著 ~「含羞の人」であった保守本流の知性派

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大平正芳 「戦後保守」とは何か 福永文夫著 ~「含羞の人」であった保守本流の知性派

評者 映画監督 仲倉重郎

 1972年7月、7年半続いた佐藤栄作首相が退陣した後の自民党総裁選に、四大派閥の領袖である「三角大福」が出馬。そして田中角栄が先陣を切り、三木武夫、福田赳夫と続いた。田中・三木・福田の三政権で外相・蔵相として誠実に対応した大平正芳は、78年12月、最終ランナーとして首相の座に就いた。

「三角大福」の抗争は激しく厳しかった。彼らはそれぞれの手法で、戦後保守の新たな方向性を見出そうとしていたのである。それは、自民党の派閥が派閥としての力と機能を存分に発揮していた時代でもあった。

大平は、1910年、香川県観音寺市に生まれた。17歳で父を亡くし、19歳で洗礼を受ける。東京商大を経て大蔵省に入省。戦後は池田勇人蔵相の秘書となり、52年衆議院議員に初当選。福田赳夫と同期である。後に池田内閣の官房長官となったのを手始めに要職を歴任。そして、池田を継ぐ保守本流として派閥を率いた。保守本流路線とは、護憲と日米安保を共存させることであるという。

80年6月、現職首相のままの突然の死であった。「ハプニング解散」を経ての初の衆参同日選挙の真っただ中に病に倒れた。「弔い合戦」の様相を帯びた選挙は自民党の大勝となり、与野党伯仲状況は完全に解消。大平はその死と引き換えにするように、自民党政権に安定化をもたらした。

福田が「政治は最高の道徳」といい、常に高い理想や目標を口にしたのに比して、大平は声高に天下国家を論じることはなかった。だが、リベラルで、デモクラティックで、「戦後民主主義と平和感覚を正面からとらえ……歴史・言葉・文化の持つ重みを、含羞を持って受け止めることのできる政治家」だった。「政界屈指の知性派」として著者の大平への評価は高い。

ふくなが・ふみお
独協大学法学部教授。専攻は政治学、日本政治外交史。1953年兵庫県生まれ。神戸大学法学部卒業、神戸大学大学院法学研究科博士課程単位取得満期退学。姫路独協大学専任講師、同大学助教授、同大学教授を経て、2001年から現職。

中公新書 840円  300ページ

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