新天皇が「テムズ川の水上交通」を研究した理由 幼少時から「道と中世の交通制度」に強い関心

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「そもそも私は、幼少の頃から交通の媒介となる『道』についてたいへん興味があった」(徳仁親王、『テムズとともに』、学習院教養新書、1993年、149頁)。

高校時代まで新天皇の関心は近世の街道と宿駅に向けられていたが、大学史学科に籍を置いてからは、「律令制のもとで整えられた古代の駅制と幕藩体制下で整備された近世の宿駅制との間にあって、まだ十分に研究の及んでいない中世の交通制度に関心が移ってきた」のである(同書、150頁)。

網野善彦が与えたかもしれない影響

律令期の七道と近世の五街道の間の中世の交通制度について「まだ十分に研究の及んでいない」ことを奇貨として中世の道と宿駅の歴史的意義を問い直したのは網野善彦である。

そして、徳仁親王が「道」の研究のために学習院史学科に進んだ1978年は、まさに網野の『無縁・公界・楽』が刊行された年であった。徳仁親王の研究関心が網野の本と無関係であったと考えることは難しい。

当時の徳仁親王が就いたオックスフォードの指導教官マサイアス教授(当時、現在は名誉教授)は、最初にこれまでの研究成果として、日本の交通史を概観するレポートの提出を言い渡した。親王が古代から江戸時代までの交通制度について書き上げた概論を一読した教授から「自分の意見をもう少し書くようにと言われ、なぜ日本では馬車が発達しなかったのかを少し考えるように指摘をされ」た親王は「早くもこれから先が大変だなと思わざるをえなかった」(同書、153頁)と慨嘆した。

なぜ日本では馬車が発達しなかったのか、これはある意味で研究動機の核心を衝いた問いであった。答えはもちろん「水上交通が発達していたから」である。ではなぜ日本列島では水上交通が発達していたのか。それは海民と天皇の間に深い結びつきがあったからである。けれども、親王は当事者として「自分の意見」を自制せざるを得ない。天皇と海民のかかわりには触れずに、日本の水上交通の特異性をイギリスの歴史学者に説明する作業を思いやって、親王はおそらく慨嘆したのである。

徳仁親王の研究内容について触れる紙数はないので、親王がテムズの語源について書かれた印象的な一節を引いてこのとりとめのない論考を終わらせたいと思う。

「なお、テムズ(Thames)の語源についてマリ・プリチャード、ハンフリー・カーペンター共著“A Thames Companion”では、『暗い』を意味するTemeをあげている。ケルト人は河川に対する信仰をもとに、沼沢地も多く近づきにくい未開発のこの河川を『暗い』、『神秘的』であると受けとめ、この印象がその後の諸民族にも引き継がれて、『テムズ』川と呼ばれたのであろうと推定している。まことに興味深い説である」(同書、156─157頁)。

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