新天皇が「テムズ川の水上交通」を研究した理由 幼少時から「道と中世の交通制度」に強い関心

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そして、「それまでの計画的な大道が荒廃しはじめる過程」が始まると同時に、「大量の物資を輸送するルートとしての海、川の交通路の役割が再び表に現われ」るのである(網野、前掲『海民と日本社会』、135頁)。

古代道路の荒廃から、私たちは国威発揚や権力誇示といった観念的な目的のために人間という「ものさし」を無視して行われた巨大事業の末路を知ることができる。そして、そのようなタイプの政治と海民文化がゼロサムの関係にあることも知れるのである。

テムズ川についての二つのエピソード

『四つの署名』でシャーロック・ホームズは犯人を追ってロンドン市内を走り、最後にテムズ河岸に至る。犯人はそこから船で逃亡したのだ。だが、一艘の汽艇をテムズ流域から探し出すのは不可能に近い。船の外見もわからず、両岸のどこの桟橋に停泊したかもわからず、「橋から下は何マイルというもの、そこらじゅう桟橋だらけで、まるで手がつけられやしない」とホームズを嘆かせる(サー・アーサー・コナン・ドイル、『四つの署名』、延原謙訳、新潮文庫、1953年)。

それに河岸で水上交通に携わる人々は部外者が入り込むことを嫌った。河岸の出来事について何か知りたがっていると気取られると「あの手合いは牡蠣のように口をつぐんでしまう」のだ。ロンドン警察も、ホームズ子飼いのベイカー街の少年探偵たちも河岸に入り込んで情報をとることができない。結局はホームズが老海員の変装で河岸を探偵して、インサイダーのふりをすることでようやく汽艇についての情報をつかむ。

それからスコットランドヤードと盗賊たちの汽艇の競走が始まる。ロンドン塔の下から海に向かって追跡は始まり、アイル・オブ・ドッグズの鼻先を回り、ウーリッジのあたりで追いつくけれど、盗賊たちは右岸へ接岸して逃れようとする。「そのあたりの河岸は一面に荒涼たる沼地で、人気はなく、よどんだ汚水と腐れかかった汚物のうえに、こうこうたる月が照りわたっていた」。

グーグルマップで見ると、今もそのあたりには汚れた遊水地と埋め立て地に広がる野原以外には目立った建物もない(刑務所があるくらいだ)。ホームズの時代にはどれほど荒涼とした場所だったのだろう。ロンドンを出た犯人たちが向かうのはテムズ下流のグレイブズエンドあたりだろうとホームズは推理していたが、Gravesend とはまさに「墓場の果て」の意である。

19世紀のテムズ川は生活排水、生ごみ、糞尿、工業用排水、動物の死骸まであらゆる汚物が流れ込んだ「世界一汚い川」であった。その下流の湿地帯のどこかに逃げ込んでしまえば、もう警察の捜査の及ぶところではなかったのである。

『四つの署名』の水上追跡場面がシャーロック・ホームズの数ある活劇シーンの中で屈指のものであるのは、テムズ川を波しぶきを上げて疾走する一隻の汽艇とその黄色い探照灯が届く範囲だけがかろうじて文明と理性の及ぶ圏域であり、その外側には暗闇と悪臭と汚泥と犯罪の「無縁の地」が広がっているという構図の鮮やかさのせいである。

5月1日に即位した新天皇は親王時代、オックスフォードに留学したときにテムズ川の水上交通を研究テーマに選んだ。なぜそのような特殊な研究主題を選んだのかについて親王はエッセイの中でこう書かれている。

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