新天皇が「テムズ川の水上交通」を研究した理由 幼少時から「道と中世の交通制度」に強い関心

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今、数字を書き連ねてみたが、6300キロというのは現在の本州高速道路網の総延長に匹敵する。私たちの家の前の一般道路は一車線せいぜい3メートルである。30メートル幅の道路というのがどれほどの規模のものかはそこから知れるだろう。

江戸時代に幕府が造営した五街道(東海道・中山道・甲州道中・日光道中・奥州道中)は幅3・6メートルで、地形にあわせて屈曲する道路であった。今の生活道路と変わらない。

しかし、古代に造営された七道は現在の高速道路と同じく、地形とも地域住民の生活ともかかわりなく、ただ都から地方の要衝までをまっすぐ定規で線を引いて造られたのである。そこが湿地であろうと掘削しないと通せないところであろうと地盤が弱く保全が困難な地形であろうと、駅路は直線的に造られた。

都から地方への軍略物資の輸送、地方から都への貢納品の輸送というのが、交通網としての実用目的だったと推察されるが、それでも理解しがたい点は残る。何よりもまず道路が直線であれば人は早く移動できるというものではないからだ。生身の人間にとって歩きたい道というのは直線とは限らない。川沿いや木陰や谷合や峠の、歩いて気分がよく、休憩したり、飲食したり、一夜を明かすのに適した場所を縫って生活道路は形成される。土地と人間の「対話」をベースにして作れば道路は必ず屈曲する。だが、古代道路はそうではない。ということは、古代道路は机上の計画だけに基づいて設計されたということであり、あえて言えば人間的な、生理的な基準を無視して設計されたということである。

古代道路を最も頻繁に用いたのは納税のために都に上る庶民だったが、彼らはいつ故郷を発ち、都まで一日何キロ歩くかまでが法で定められていた。納税を終えて故郷に帰る人々が帰路、餓死する事例が多発したと『続日本紀』には記載がある(同書、97頁)。七道はそれほどに非人間的な道路だったということである。それゆえ、近江は古代「駅路には『国家権力を人々に見せつけるための象徴』という意味合いがあったことがわかるのである」(同書、27─28頁)としている。

海民たちを決して信用しないという強い意志

もう一つ腑に落ちないのは、七道には水上交通が含まれていないことである。大量の物資を短時間に運ぶという点でいえば、すでに十分な発達を遂げていた河川湖沼の水上交通を無視するというのは政策として不合理である。でも、七道が国権の誇示のための装置であったとするならばそれも理解できる。律令国家の支配者たちは水上交通を司っていた海民たちに向かって「お前たち抜きでも国家のロジスティックスは成り立つ」ということを告知し、かつ軍事物資や貢納品を決して海民の手に委ねないことによって、国家は海民たちを決して信用しないという強い意志を伝えたと考えれば、それも理解できる。

古代道路のもう一つの特徴は、これほど巨大なプロジェクトの成果であるにもかかわらず、短期間で廃用されたことである。国が総力をあげて造営した交通網が100年ほど後には草生し、崩れ、人気のない無住の地になった。古代道路の遺構は今でもしばしば田畑や山林から発掘されるが、それはそれ以後それを道路として使った人間がいなかったということを意味している。

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