こちらの建物もやはり復元されたものだが、床や天井、壁の腰板などに創建時の部材が使われていて、当時の雰囲気が感じられる。佐伯祐三のアトリエと同様に北側の大きな窓と天窓からは自然光が入り、使用していたイーゼルや家具(複製品)などが展示されている。それらは作品中にも多く描かれているものだ。
中村は軍人を志し、陸軍幼年学校に進学しながら、17歳で肺結核を発症してその道を断念。その後、転地療養中から洋画家を目指すようになった。このアトリエに転居した頃は病気が進行し、外出することもままならず、この家で療養と制作の日々を送ることが多かった。
アトリエ以外も復元されている
建物内にはアトリエのほか、中村が寝起きし応接間としても使っていた居間や、身の回りの世話をした岡崎きいという女性が暮らした三畳間の部屋なども復元されている。
アトリエは、中村が37歳で亡くなった後、画友たちによって保存され、昭和4(1929)年から画家の鈴木誠が所有したものを、建築当初の姿に復元している。中村は才能とともに人望もあり、没後も多くの人がこの建物に思いを寄せたことで、このアトリエが残ったと思われる。
下落合にはこのほかにも作家の林芙美子の家が記念館として保存されている。こちらは、建築家・山口文象設計の建物がそのままに残されていて、売れっ子だった女流作家の暮らしぶりがうかがえる。
また、下落合の北側である豊島区の長崎には、「池袋モンパルナス」と言われたアトリエ付きの貸家が建ち並び、その住民と佐伯祐三など下落合に住んだ画家たちとの交流も盛んだった。大正から昭和のそんな歴史と文化を振り返りながら界隈を散歩するのも興味深い。
(文中敬称略)
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