「ゲッツ!」ダンディ坂野に仕事が絶えない理由 「仲間の助言で生まれた」一発ギャグ誕生秘話

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おなじみ「ゲッツ!」のポーズを披露してくれたダンディ坂野さん(撮影:北村史成)

テレビであまり見かけなくなったと巷(ちまた)ではささやかれるが、そんな心配はご無用! 黄色い衣装に身を包み「ゲッツ!」でおなじみの、ダンディ坂野さん。

現在はCM10本、営業が年間約60本、地方の番組やイベントを通して今なお活躍し続けている。「ゲッツ!」というわかりやすくキャッチーなフレーズ一本で活躍し続ける芸人さんもなかなかいないのでは。

平成を代表する国民的ギャグ職人と言えると編集部が勝手に判断し、『平成』という時代、そして、これからの時代について語ってもらった。

アイドル志望からお笑い芸人へ

そもそもお笑い芸人を目指すきっかけはなんだったのだろうか。

「実は、もともとはアイドルに憧れていたんですよ。特にトシちゃん(田原俊彦さん)に憧れていて、歌って踊れるアイドルになりたかったんです。だから、地元の石川県に住んでいたころは、オーディション雑誌を買いに隣町までわざわざ行ってましたよ。それくらいアイドルに憧れていました」

当記事は「週刊女性PRIME」(運営:主婦と生活社)の提供記事です

お笑い芸人としてではなく、アイドル志望だったダンディさん。時代を先取るお笑い芸人をテレビで目の当たりにし、お笑いの世界に飛び込む決意をする。

「高校を卒業してしばらくは地元の石川県にいたんですが、26歳で上京しました。当時、テレビでウッチャンナンチャンさんやとんねるずさんがアイドルと共演しているのを見て、なんかお笑い芸人ってカッコいいなと思ったんですよ」

それからほどなくして、芸人としての道を切り開くため、お笑い養成所に通うこととなる。

「当時はヒロミさん率いるB21スペシャルさんが、人力舎のお笑い養成所(スクールJCA)の広告に出ていたんです。それがカッコよくてJCAに入ることに決めたんです」

“業界としては年齢的に遅いほうだ”とダンディさんはいうが、人力舎のお笑い養成所(スクールJCA)の2期生としてオーディションを受けることになる。

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