「ゲッツ!」ダンディ坂野に仕事が絶えない理由 「仲間の助言で生まれた」一発ギャグ誕生秘話
選考の内容について話を聞いてみると。
「正直言って、大きな声でハキハキしてしゃべれるか。それと授業料が払えるかということが合格の基準だったらしいです(笑)」
こうして養成所に入ったのち、コンビを組んで活動するが成績は芳しくなく、卒業後、事務所に所属するにはいたらなかった。それを機に、解散を決意。今後のことを悩んでいたときに、ある方に声をかけてもらう。
当時、お笑い養成所で講師をしていたブッチャーブラザーズ(サンミュージックプロダクション所属)さんだ。
「これからのことを悩んでいたときにブッチャーブラザーズさんに相談したら、“じゃあ、付き人になるか”と声をかけてもらったんです」
その後、付き人として下積み時代を経たのちに、サンミュージックプロダクションに所属することになる。やがてサンミュージックにお笑い部門が誕生し、そのタレント第1号としてテレビでも露出していくようになる。
軌道に乗り、テレビ出演回数も上昇
「『爆笑オンエアバトル』(NHK)には第1回放送から出させて頂いて、だんだんテレビに出られるようになってきましたが、忙しくなった一番のきっかけは、テレビ朝日系で放送していた『内村プロデュース』ですね。
それが2002年秋の放送だったんですが、深夜枠で視聴率が10%という驚異的な番組に出られたことと、『マツモトキヨシ』のCMに起用されていた時期だったので、“マツモトキヨシのCMに出ている人、お笑い芸人だったんだ”ということで、特に30代の男性に認知され始めたんですね。
その後もフジテレビ系の『めちゃ×2イケてるッ!』の笑わず嫌い王決定戦にも出させてもらって、その時期から忙しくなってきました」
『マツモトキヨシ』のCMはダンディさんの出世作であるとも言えるが、CMが決まった経緯を聞いてみると。
「後輩にさくらんぼブービーというコンビがいたんですが、彼らがマツモトキヨシのポイントカードのCMに第1弾で出演していたんです。それで、第2弾のキャスティングを決める際に、CMスタッフがサンミュージックのライブを観て“彼がいいんじゃないか”となって、出演が決まったと聞きました」
ダンディさんの実力で決まったCM出演だと思うが、彼は後輩芸人のおかげだと謙遜し、笑って話す。
「僕の芸人人生は他力本願で成り立っているんですよ」
このCMが、その後の芸人人生を飛躍させるきっかけになったのは言うまでもないだろう。そしてテレビ番組に出るようになった2003年といえば、日本テレビ系で『エンタの神様』も始まり、ダンディさんも常連組に。さらに人気に拍車がかかるが、そこでは、なかなかの試練を味わうことに。
「番組の演出なのか、観覧のお客さんの反応が悪いんです。たしかに自虐の間延び芸なのですが、お客さんの笑いが一切なくて、地獄でしたね(笑)。そんな中でも必死にネタをやりました」