福岡からブラジルを伝える元ヤンキーの生き様 ウェブ版に移行したサンパウロ新聞の73年

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サンパウロ新聞の福岡支局長、愛称「ブラジル番長」こと吉永拓哉さん。異色の経歴、またサンパウロ新聞の歴史とこれからを聞きました(写真:news HACK by Yahoo!ニュース)
「ブラジルは、取材相手も記者もたくましい人ばかりですよ」
サンパウロ新聞の福岡支局長、愛称「ブラジル番長」こと吉永拓哉さん。元暴走族副総長で少年院に入り、南米に渡って記者となった、異色の経歴の持ち主です。
サンパウロ新聞は、約26万人が移住したといわれる世界最大の日系人居住地・ブラジルで、ニュースを70年以上伝えてきました。同紙は2019年1月に紙面を廃刊、現在はウェブ版で情報発信を行っています。
吉永さんの異色の経歴、またサンパウロ新聞の歴史とこれからを聞きました。

購読層の9割は75歳以上…いつかなくなる宿命だった

――サンパウロ新聞とはどんな新聞なのか、Yahoo!ニュースへの配信の理由を教えてください。

1908年から始まった移民政策で、日本人はサンパウロ以外の都市やアマゾンなどにも居住地を作っています。サンパウロ新聞は、1946年10月の発刊から70年以上、ブラジル各地に住む日本人にニュースを届けてきました。

本記事はnews HACK by Yahoo!ニュース(運営:ヤフー)の提供記事です

同時に、ブラジル以外の日本人にもブラジルの出来事やその良さを伝えていく使命があります。そのため、2013年よりYahoo!ニュースへの配信を始めました。どんなニュースが興味を持たれるかなどを見つつ、現在もブラジルのニュースを配信しています。

――2019年1月新春特集号で廃刊を発表されました。背景には何が。

移民政策は、1970年代に打ち切りになりました。そうなると、新しい日本人はあまり入ってきませんし、日系二世以降はポルトガル語ができるので、日本語新聞を読む必要がありません。

移住最盛期の1960年代にはサンパウロ新聞も約10万部発行されていましたが、2000年代には3万5000部に減少。特に直近10年で購読層がどんどん亡くなり、2018年の時点で購読者の90%が75歳以上になっていました。

つまり、サンパウロ新聞はいつか必ずなくなる宿命だったんです。われわれとしては、移民の最後の一人まで情報を届け続けるのを目標にしてきましたが、紙面を出し続けるには人件費がかかります。

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