<和銅(飛鳥・奈良時代)=西暦708~715年>
この地で精錬を要しない自然銅が発見された。これを記念して元号を和銅に改め、この銅を使ってわが国初の流通貨幣である和同開珎が作られたと言われている。和銅3年(710年)には平城京に遷都され、奈良時代が始まる。
この駅は、もともとは黒谷駅であったが、和同遺跡の最寄り駅であり、2008年が和同奉献1300年の記念すべき年であることから和銅黒谷駅に改称された。また、ホームには和同開珎のモニュメントが置かれて人目を引いている。
<宝永(江戸時代)=西暦1704~1711年>
宝永4(1707)年に起きた巨大な宝永地震で高知の城下町は津波の被害に遭った。そこで、防災のため宝永堤が造られ、このあたりは宝永町と呼ばれるようになったと言われている。
1908年に下知停留場として開業するも、1938年に宝永町停留場と改名し、第2次世界大戦中は休止となったが、1952年に復活し、土佐電鉄からとさでん交通へと変わったものの現在に至っている。
元号と同じ名前だが…
<永和(南北朝時代)=西暦1375~1379年>
元号の永和は、南北朝時代に用いられたものである。永和駅は、かつて存在した永和村に由来するもので、その村名は20世紀初頭に近隣の3つの村が合併し新たにできたものである。「永」も「和」も縁起のよい漢字であり、とくに元号と関連があるものではないようだ。
名古屋駅からわずか4駅のところにありながら、あたりはのどかな田園地帯。電化区間ではあるが単線で、特急や快速みえは非電化区間へ直通するためディーゼルカーで運転される。ただし、いずれも永和駅には停車しない。
なお、永和駅は、東大阪市にもあるが、今では河内永和駅と言う。こちらも元号の永和と関係はない。
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