三・一運動100周年で吹き荒れる日韓「春の嵐」 韓国の建国論争が日韓関係に思わぬ飛び火

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これに対し文在寅大統領は、大韓民国のスタートはあくまでも1919年であるという考えに強くこだわっており、「建国論争」に火が付いた。

朴槿恵前大統領を激しく批判する国民的な「ろうそくデモ」によって政権を手にした文在寅大統領が、三・一運動のような大衆運動を重視するのは自然なことであり、三・一運動とろうそくデモが重なって見えるのかもしれない。それだけでなく、文在寅大統領の主張の背景に対北政策が関連していることは明らかだ。

三・一運動は南北が分断されるはるか前の話であり、植民地支配時代に半島全体で起きた独立運動である。むろん上海の臨時政府と南北分断も無関係だ。つまり、1919年の独立運動の動きは半島の一体性を象徴するものであり、南北融和を最重視する文在寅大統領の思考に合致している。

文大統領に保守派は強く反発

これに対し1948年の独立宣言は、南北分断のスタートであり、統一とは逆のベクトルを意味する。文大統領がこれを否定的に捉えるのは自らの政策と矛盾するからであろう。つまり、文大統領が三・一運動100周年を前面に出すのは、南北関係改善に積極的な姿勢の現れでもあるのだ。

当然、北朝鮮に対し強硬な姿勢をとる保守派は強く反発している。彼らの主張は次のようなものだ。三・一運動は日本の官憲によって数カ月で鎮圧され不発に終わった。また、上海の臨時政府は連合国側を含め国際社会でまったく認められておらず、政府としての実態がなかった。さらに国際法上も国家の定義を満たしておらず、大韓民国の建国と言えるような実態はなかった。歴史的な事実関係はまさにこの通りだろう。

これに対し進歩派は以下のような反論をしている。臨時政府が半島内に政府を樹立できなかったのは、「日帝(日本帝国主義)が半島を強占(強引に占拠)していたからであり、やむを得ない選択だった」。初代の李承晩大統領や歴代の軍事政権はアメリカに支えられた政権であり、南北統一を阻害してきた。1948年8月15日を建国とすれば、1945年以降の3年間だけ建国運動に参加した「親日派」が功労者になってしまい、植民地支配時代を通じて独立運動を続けてきた人たちが反逆者になってしまう。

進歩派の多くは、長く続いた抗日運動こそ大韓民国の精神であると考えている。その多くが1980年代の韓国の民主化闘争にかかわったり、それを支持している人たちであり、三・一運動と民主化闘争を結びつけて、自分たちを正統化しようとしている。進歩派の主張は、歴史的事実よりも政治的意図が前面に出ているといえるだろう。

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