(言論編・第二話)脱藩
組織を越えて横につながりを持ち、ミッション(使命)を実現する。私はそれを今の日本で実現できないか、と考えた。私の中で次第に膨らんできた構想は、思いを共有する知識人のネットワークによる言論の舞台の形成である。それこそ「夢の協働」ではないのか、と。
ある新聞で対談した岩波の「世界」編集長の岡本厚氏から、幕末には「横議、横結、横行」という言葉があったと聞いたことがある。当時の藩を越えて横に議論し、横に結びつき、横に行動していく。そして新しい国づくりが始まった。
そうした言論の新しい舞台をつくるためには、私自身が会社の枠を超えなくては、と思った。それが今から思えば、私の「脱藩」の覚悟だったのかも知れない。
最終号となる2001年の5月号で、私は最後のテーマを「言論不況」と決めた。言論の在り方を世に問うこと、そして私は言論の活動に身を置き続ける決意をこの場で明らかにしようと考えた。
その休刊宣言で私は言論人の覚悟を問い、そしてこう呼びかけた。
「最後となる今号で言論不況をタイトルに据えたのは日本が瀬戸際に追い込まれながらも長い間解決を遅らせ、いまだに日本の進路を描ききれないのは我々マスコミ側の責任も大きいと考えたからである。我々はこの局面にどのような立場、覚悟で向かい合ったのか。責任ある言論をつくりえたのか。もちろん、小誌もその批判の枠外にいるわけではない。何よりもこうした雑誌を支えられなかった私の力不足を痛感している。その意味で『言論不況』は自らを問う自戒の言葉でもある」
「小誌はこの国の将来への思いを共有し、自立する社会を求める人たちが協働する言論運動だったともいえる。こうした言論運動は小誌の休刊にもかかわらず、これからも場を変えて発展し続けるだろうし、そうさせなくてはならない」
こうして非営利組織での言論、言論NPOの旅は始まったのである。
言論NPO代表。
1958年生まれ。横浜市立大学大学院経済学修士課程卒業。
東洋経済新報社で、『週刊東洋経済』記者、『金融ビジネス』編集長、『論争 東洋経済』編集長を歴任。2001年10月、特定非営利活動法人言論NPOを立ち上げ、代表に就任。
※言論NPOとは
アドボカシー型の認定NPO法人。国の政策評価や北京−東京フォーラムなどを開催。インターネットを主体に多様な言論活動を行う。
各界のオピニオンリーダーなど500人が参加している。
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