40歳、歌舞伎町で俳句を生業にする男の稼ぎ方 子どもの頃から興味のあった道に落ち着いた

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「もともとギャンブル好きだったし、金銭感覚が壊れてるのかもしれないなあ。昔から、お金持ってるのが、ものすごい嫌なんですよ。あると全部使わないと気持ちが悪い。貯金はずっと0円ですね。今も全財産500円ないですもん(笑)」

北大路さんは笑いながらポケットを叩いた。それで困らないかといえば、困っているという。年中、電気とガスは止められて、食うや食わずやの状態になる。

そんな話をしているのに、北大路さんからは不思議と悲壮感が漂ってこない。

話が少しそれてしまった。

ずっと熱烈に横浜マリノスを応援していた北大路さんだったが、横浜マリノスと横浜フリューゲルスの合併は大いに反対だった。

「合併反対派の中心だったんです。反対運動やりすぎてスタジアム行けなくなってしまいました」

ファンフェスタで反対運動から賛成派とケンカになってしまった。その様子を見ていた選手がインタビューで「怖かった」と答えた。

「選手を怖がらせてはダメだと思ってキッパリと足を洗いましたね。憑き物が落ちたみたいに、それ以来サッカーはまったく関心持たなくなりました」

サッカーの応援をやめても、大学にはあまり行かなかった。

35年分の"過去自殺"

それからはナンパをするようになった。

「ずっとそういう部分は冷めてたんですけど、20歳超えてから急に目覚めてナンパばかりしてました。晴れた日はクラブとかで、雨の日はチャットで、やり取りは全部まめにノートにつけてました。ちょっと記録魔なとこがあるんです。野球のスコアとかつけるの好きでしたしね」

本業である俳句も記録は大事だ。思い出していくのに記録はとても便利なのだ。俳句一句から、言葉をインデックス(索引)にしてほかの俳句をたどることができる。

生活の記録である、日記も小さい頃からずっとつけていた。

「35歳くらいのときに“過去自殺”しようって思ったんですよ。過去の記録を全部捨てちゃおうって。たぶんギャンブルで負けてむしゃくしゃしてただけだけど」

小さい頃からつけていた日記、写真は、段ボール5箱にもなった。それを容赦なく、全部捨てた。

「一緒に住んでた女が『そんなことしちゃダメだよ~』って泣き出しちゃいました。今思えば、とっておけば少しはお金にできたのかな? ってちょっとだけ後悔してます。でも全部捨てて気持ちはかなりスッキリしました」

サッカーの応援と、ナンパばかり頑張った大学時代だったが、留年することもなく卒業することができた。

そして、性風俗を紹介する情報誌を発行する会社に就職した。

「遊び半分でお金もらえればいいなと思って入ったんだけど、すごいスパルタな会社でした。『電話は立ったまましろ!!』とか怒鳴られるような」

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