40歳、歌舞伎町で俳句を生業にする男の稼ぎ方 子どもの頃から興味のあった道に落ち着いた

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中学校に入っても、あいかわらずだった。制服を着ないでトレンチコートを着て学校に行って、めちゃくちゃ怒られたこともあった。

高校受験は志望校には行けず、とある高校の特進コースに入った。通常の6時間の授業に加え、朝の補習が2時間、放課後の補習が2時間あった。

「毎日、勉強漬けですよ。3年間クラス変わらないし、部活動も禁止でした」

部活動は禁止だったのだが、それだと卒業アルバムに載せる写真があまりに何もない。それでは生徒がかわいそうだということになり“ウソの部活写真”を載せることになった。

北大路さんは『文芸部にいた』という体(てい)で卒業アルバム用の写真を撮ることになった。

「その撮影のときに初めて先生とちゃんとしゃべって、先生が俳句をやってるって初めて知りました。40歳くらいの男の先生で、結社(俳句をする人の集まり)を立ち上げていて、公民館などで老人を集めて句会をしてました」

先生についていって、句会に参加した。

俳句は小学校のときからずっと続けていたが、そこから本気でのめりこむようになった。

「集まってる老人が、老人の中でもはみ出し者の不良老人ばっかなんです。わがままで、人の言うことなんか絶対聞かない。ちょうど『同級生ってつまらないな』と思ってたときに老人に会えてよかったですね。お酒やメシをおごってくれましたし(笑)」

そして大学受験を終え、青山学院大学に進学した。

進学するものの、学業そっちのけでサッカー応援

「当時は自宅が厚木だったから大学まで通うのが大変でした。片道2時間で、すぐに大学行かなくなりましたね。最初の飲み会には参加したけど、いつも老人と通なお店で飲んでましたから、安い店で騒いで飲む同級生たちが『ダサいな』って思って、いっぺんに大学が嫌いになりました」

大学に興味を失うのと同時に、サッカーにハマった。小学校時代は体育の授業に参加しないほど運動嫌いだったから、もちろんサッカーをするのにハマったわけではない。サッカーの応援にハマったのだ。

「近所にサッカーの応援で日本中を回っているおじさんがいて、一緒にサッカー応援の旅に行きました」

応援の旅はほぼ車中泊だった。水曜日と金曜日に試合があったので、前日にスタジアム入りした。0泊3日で広島や博多に行って贔屓のチームである横浜マリノスを応援した。

「スタジアムの前に並んでると、差し入れのお酒をもらえるんですよ。スタジアムの前でひたすら酒を飲んでる日々でした」

1998年のフランスのワールドカップにも行くつもりだったのだが、応援に使う太鼓を持ち込めるかどうかで、旅行会社ともめてしまった。結局、遠征はとりやめになった。旅行会社に預けていたお金、70万~80万円が帰ってきた。

「アルバイトしてためたお金でした。ほぼ1日で使っちゃった(笑)。キャバクラに行って、バラまいて終わりって感じです」

大学生にとって70万~80万円は安い金額ではない。しかも必死にアルバイトしてためたお金だ。一気に使ってしまったのは、なにか理由があったのだろうか?

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