つまるところ、日本がまだ新興国であった高度成長期の景気回復と、成熟化してしまった21世紀の景気回復を一緒に論じること自体に無理がある。「いざなぎ景気」を引き合いに出すことは、さすがに時代錯誤になってきたのではないだろうか。
そもそも朝鮮戦争後の復興景気(1954年12月から57年6月)を、「神武景気」(神武天皇以来の好景気)と呼んだことが始まりであった。ちなみに当時、歌手・美輪明宏は「神武以来の美少年」、棋士・加藤一二三は「神武以来の天才」と呼ばれたそうである。
その後、新たな景気サイクルが訪れるたびに、「岩戸景気」(1958年7月から1961年12月)、「いざなぎ景気」と日本史の神話の時代を遡って命名された。しかるに「古事記」はいざなぎ、いざなみの国づくりから始まっているので、もうそれから先は使える言葉が見当たらないのである。
その後は「バブル景気」(1986年11月から1991年2月)が最後の思い出で、今や景気回復といってもそう華々しいものではない。昨年も日本列島は地震や豪雨、大型台風などさまざまな自然災害に見舞われたが、どうやら景気が腰折れすることもなく、緩やかな拡大局面が続いていることを多とせねばなるまい。
「安倍景気」が「小泉景気」よりもマシな3つの理由
あらためて、21世紀になってからの2つの景気拡大局面を比較してみよう。2000年代の「小泉景気」と2010年代の「安倍景気」を比べると、後者の方が優れている、いやマシな点を3つ指摘することができる。
第1は名目の成長率が伸びていることで、小泉景気(2002年第Ⅰ四半期~2008年第Ⅰ四半期)は2.5%に留まっていたが、安倍景気(2012年第Ⅳ四半期~18年第Ⅲ四半期)では10.9%となる。これは「デフレではない」状態になったことによるご利益で、不良債権処理から株式投資まで、その方が良いことは言うまでもない。
第2は地域別の景況感のばらつきが少なくなったことである。小泉景気のときは、「景気がいいのは関東と東海地方だけ」と言われ、都市と地方の格差が拡大したものだ。2005年の「愛・地球博」の頃の名古屋の街は、本当にバブル状態であったからねえ。その点、最近はインバウンドの活況という追い風があるお蔭で、北海道から沖縄まで全国くまなく有効求人倍率が1倍を上回るようになっている。
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