「江戸無血開城」は世界的に見て奇跡である 歴史に学ぶ時代を生き抜く知恵
冲方:エルサレムの無血開城はまさに江戸無血開城に似ていますね。
出口:そうなんです。それを成し遂げたのは第6回十字軍を率いた神聖ローマ皇帝のフェデリーコ(フリードリヒ)2世です。シチリア島のパレルモで育ったフェデリーコは、世界の情勢をどのヨーロッパの王族よりも熟知していました。
もちろん、アラビア語の読み書きもできました。だから、相手方の大将であるアイユーブ朝の君主アル=カーミルと直接アラビア語で交渉することができたわけです。
トップ同士が和平の道を探るわけですから、これはもう勝海舟と西郷隆盛の姿に重なります。実際、言葉が相通ずるというのは大変重要です。勝海舟と西郷隆盛も、書簡を漢文で書いていますよね。当時、生まれた地方が違う人間同士のオーラル・コミュニケーションは今の人間が考える以上に難しかったはずです。たぶん、江戸っ子の勝は西郷の薩摩弁を十分理解できなかったことでしょう。
冲方:そうだと思います。
出口:しかし、共通言語としての漢文の素養があったので、大きな問題にはならなかった。
冲方:直接のコミュニケーションが可能だったという事実は、2人が膝詰め談判をする前段階に必要な、とても大きな要素だったはずです。
出口:もう1つ似ている点は、エルサレム無血開城も江戸無血開城も、お互いが硬軟交えた丁々発止の駆け引きを行っているという点です。
彼らは講和の道を探りながらも、武力対決も辞さないだけの覚悟と、それを支える軍事作戦を用意していました。これは塩野七生さんが指摘されていたのですが、フェデリーコ2世がエルサレムに平底の船を連れて行ったのは、いざとなるとナイル川を遡ってアイユーブ朝の首都に攻め入るという示威行為だったわけですね。海なら平底の船は必要ないですから。こうした事実は、スパイを通じて先方に伝わります。
冲方:江戸無血開城においては、勝が立てていた江戸焦土作戦こそ、その示威行為に当たるわけです。文字通り背水の陣を敷いて、情報をうまくコントロールしながら相手に覚悟のほどを悟らせる。お互いにスパイを放っていることは承知のうえですから、バレることを前提に動くのですね。これこそ知恵者のやり口ですし、同時に十分な備えがなければ和はなりたたないということを示す、重要な史実なのだと思います。
出口:まさに、そうです。
彼を知り己を知れば百戦殆(あや)うからず
冲方:それにしても、勝というのは不思議な人物です。自分を殺しに来た人間ほど改悛させ、世界に目を向けさせる。坂本龍馬もそうですし、西郷も最初は勝をやっつけるつもりだったけれども、「何を言っているんだ、日本は1つにならなきゃだめだ」と諭されて改心します。