「江戸無血開城」は世界的に見て奇跡である 歴史に学ぶ時代を生き抜く知恵

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出口 治明(でぐち はるあき)/立命館アジア太平洋大学(APU)学長。1948年、三重県生まれ。京都大学法学部卒業後、日本生命保険相互会社入社。ロンドン現地法人社長、国際業務部長などを経て2005年に同社を退職。2008年にライフネット生命を開業。2017年に代表取締役会長を退任後、2018年1月より現職。『生命保険入門 新版』『人類5000年史Ⅰ』『「全世界史」講義Ⅰ、Ⅱ』『仕事に効く教養としての「世界史」Ⅰ、Ⅱ』『ゼロから学ぶ「日本史」講義Ⅰ』など著書多数(写真:ホンゴユウジ)

出口:はい。モンケは後に第4代のカアンになると、実弟のフレグに大軍を託し、今度はエジプトを目指します。その際、モンケはフレグに「ペルシャには有名な天文学者が山程いると聞いたので、ぜひ暦を作りたい。最高の学者を連れて帰れ」と命じました。

快進撃を続けたフレグはバグダッドを落とし、エジプトをうかがうところまで進軍するのですが、折悪しくモンケが崩御し、軍を返すことになります。しかし、帰途で実兄のクビライが皇帝になったと聞いてペルシャにとどまりフレグウルス(イル・カン国)を作ったのです。ただ、フレグはモンケの命令を忘れてはいませんでした。

マラーゲという現在のイラン北西部に位置する首都に大天文台を作り、学者たちに観測データを集めさせます。そうして得られたデータがまわり巡ってクビライのもとに届き、それを郭守敬という学者が授時暦に仕上げた、というわけです。

冲方:すごいドラマですね。

出口:モンゴル人であるモンケの発案が、ペルシャ人の学者によって天文表になり、中国人の郭守敬が授時暦に仕上げた。この壮大な話をどなたかにいつか書いてほしいなと思っていたら、冲方さんがその後日談ともいうべき話を書かれたので、出版された時は本当にうれしかったのを覚えています。

大規模な内戦を防いだ知恵を、もっと知っておくべき

冲方:今のお話、『天地明察』を書く前に聞きたかったです(笑)。それにしても、出口さんの博識には驚かされます。

出口:とんでもない。ただ本が好きなだけです。今回上梓された『麒麟児』は江戸無血開城を主に勝海舟の視点から描いた作品ですが、どうして数多(あまた)ある幕末の史実の中でもここを取り上げて小説にしようと思われたのですか。

冲方:江戸無血開城は、当時の平均的な日本人では持ち得なかった見識をいち早く獲得した、勝という傑物がいてこそ成し遂げられた事だと僕は考えています。

明治時代、曲がりなりにも近代化が進んだ理由は、江戸という当時屈指の大都市が無傷のまま残ったからなのは間違いありません。そのおかげで欧米列強の植民地化を免れたといっても過言でないと思います。都市を破壊する大規模な内戦を防いだ知恵というのは、現代の日本人がもっと知っておくべきだと考えたのです。

出口:おっしゃる通りだと思います。日本史はもちろん、世界史を眺めてみても無血開城の例はさほど多くありません。今思いつくのは、宋とキタイ族の遼との間に結ばれた澶淵の盟(せんえんのめい)と、第6回十字軍によるエルサレム無血開城ぐらいです。

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