「江戸無血開城」は世界的に見て奇跡である 歴史に学ぶ時代を生き抜く知恵
出口:西郷は当初、勝よりも一段低い次元で幕府との戦いを捉えていました。だから、倒幕しか頭にない。ところが、いざ会ってみると、勝は西郷の認識よりもう1つ高いレベルの話をしていることに気がついたのでしょう。
冲方:幕府がどうこうという話をしていたら駄目だ、ということですね。
出口:はい。確かに薩長と幕府は並び立ちません。しかし、日本はその上位概念です。
冲方:そして、その上にはさらに「世界」があるというのを、勝は知っていた。
出口:ええ。議論が想定より高いレベルになった時、一般論として人間は説得されやすくなる傾向があるのです。同じ土俵上での議論だとやはり自分を勝たせたくなります。しかし、上のレベルの話の場合、そこには自分の意見もある程度包含されているから、比較的受け入れやすい。
冲方:なるほど、自分の意見がすでに組み込まれている状態だから、喧嘩する気が起きないというわけですね。
手段ではなくより大きい次元で目的を統合する
出口:もっとあけすけに言えば、自分が今までやってきたことを否定されるわけではないから、顔が立つわけです。薩長にしてみれば、幕府を倒してよりよい日本を作ろうと思っている。しかし、幕府側にも先見の明がある人がたくさんいました。かつて薩長の唱えた尊王攘夷では駄目で、開国して富国強兵を目指すしか道はないと考えていたわけです。
しかし、どちらもあくまで手段です。目的は日本をよくすることに変わりはありません。それならば、幕府か薩長かという次元を捨てて、明日の日本をどうしようかという話にもっていけば、どちらの顔も立つし、どちらも夢がより大きい次元で統合されるので、納得しやすいという面があったのではないでしょうか。
冲方:勝の場合、やはり海外経験をしたのが大きかったのでしょうね。彼はアメリカをその目で見ることで、幕府や藩を超えた「日本」を意識できた。もちろん、一緒に行っても全然目覚めなかった人もいるので、やはりずば抜けたビジョンの持ち主だったのだとは思いますが。
出口:そのあたりについては、勝がアメリカ国旗を思い浮かべるシーンを入れることで、すばらしく上手に表現されていましたね。幕府や藩の上位概念というと、つまり国民国家ですが、これを「勝は、アメリカに行って国民国家に気づいた」という一文にしてしまったら読者はなんのことやらさっぱりわからない。しかし、そこに勝の回想として星条旗の持つ意味を説明されたことで、わかりやすくすっと頭に入ってきました。
冲方:どう表現すればいいか、あれこれ苦労した場面でしたので、工夫に気づいていただけてとてもうれしいです。結局、勝の場合、カリスマや天才だったというよりも、人間心理をしっかり理解していたことが決め手になったように思います。江戸の町火消しや侠客をうまく使えたのだって、彼らの反応を熟知していたからでしょうし。