東大出た「桜蔭の問題児」の壮絶だった44年 東大女子が抱える母親との葛藤

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司法試験は4回受けた。司法制度改革で法科大学院への移行期だった。それまで田中は短期決戦が得意で、今までどおり勉強していれば司法試験もなんとかなると思っていたという。

「人よりも早いスピードで成功する人生だったので、その私が4回目を受けて手応えがないということは、司法試験は私に向いていないと思いました。毎年同じことを1から憶えていく。去年はできたのに、またやってみると忘れている。10年続けて受かる人もいるけれど、10年やるタイプではない。気持ちがへこんで、4年間十分やったと思いました」

司法試験は諦めて、予備校職員に

地味に勉強して、お金もなく、遊んでいることに罪悪感を持ちながら20代を送りたくはなかった。女性の幸せを追求していきたかった。

受験4年目には、司法修習に進んだ後輩のアルバイトを引き継いでいた。司法試験の問題の下案を作るバイトで、バイトをしながら司法試験を受けた。ところが不合格だった。そのまま、その予備校にバイトとして残り、契約社員を経て正社員になった。「この会社に入ったら友達もできて、ここにさえ来れば引きこもりにならないと思い、受験を辞めてしまったのです」。

バイトしては海外旅行に出かける生活をしていた。25歳のころだった。

同じような人たちと闘って打ちひしがれて、司法試験戦争を降りた。田中はなかなか負けを認めることはできなかったが、転機が訪れる。学歴はついたのに、仕事では成功していないという思いを抱えていた頃だ。

2002年、約1カ月、海外に派遣されて研修するスタディーツアーの募集があった。これに応募。書いた作文が認められ、モロッコに行った。

彼女は、英語、韓国語、タイ語、スペイン語、フランス語、ポルトガル語、中国語に堪能だ。独学で身に付けている。語学のセンスがあるのか、努力家なのか。この言葉をマスターしたら次の言葉、と勉強し続けた結果だった。その視察は田中の心に残った。

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