実際、今回のコースは、大勢の方が亡くなった場所も何カ所か通ることになる。あるとき須永が、「今後はあそこやあそこを社用車で通るときは配慮して」と、僕たちに告げたときがあった。きっと先ほどのような声を地元の人から聞いていたのだろう。そうした声を耳にしながらも、粘り強く調整したのは大変だったに違いない。
須永いわく、ここでも支えてくれたのは河北新報社の方々で、こんな言葉をかけてくれたという。
「いろんな意見があるけれど、いつまでも下を向いているままでは経済も発展しない。だからやるべきだよ」
こういうイベントの開催は、ヤフーは初めてで手探り状態だったし、世代も組織もカルチャーもまったく異なる河北新報社の皆さんに、たくさんのことを学ばせてもらいながら進めていった、と須永は言う。
互いにモチベーションを上げるよう努めて取り組むといった、貴重な経験になったようだ。
200人のヤフー社員が援軍に
2013年5月8日、仙台の県庁にて、一力社長らと共に宮坂は村井県知事を表敬訪問し、記者会見を行った。その際、日にちもコースも募集する参加者人数もすべて公表した。もう後戻りはできない。
ヤフーでは、大きなプロジェクトが始まる前には、手伝ってくれる人を募集する社内公募制度がある。さっそくそれを用いて協力を募ると、多くの社員が挙手してくれた。
主要メンバーとなる20人の社員と、当日のボランティアも含めて、総勢200人の社員が協力してくれることになった。誰もが、「復興に協力したい」という熱い思いを持っていた。心強い限りだ。こうした前向きなパワーがどんどんと湧き出てくるのは、復興支援の活動などを通して、本当にヤフーがいい会社になったからだと思う。
振り返ってみれば、よくこうしたイベントをこれほどの期間に進め、無事開催できたものだと思う。
今回のイベント収支に関しては、まだ正規のものが出ていないが、おそらく初年度は、黒字を生み出すところまでには至らないだろう。そこは大きな反省点となった。ただ、こうしたイベントは2回目が重要とも言われている。次が勝負だろう。
少しでも復興への後押しにつながるように、当初からこのイベントは10年継続開催を目指すと公言している。
「10年後、世界中から、復興した東北を見て感じるために人が集まる。そんなすてきなイベントに育てていきたいと思っている」と淡々と語る須永。
熱い! 熱いっすね、須永さん。10年後、ツール・ド・東北がツール・ド・フランス規模になったら、その経済効果は莫大。復興を超えた新しい産業になる。
そうなったらみんなで銅像を立てましょう! 須永さんの。髪型的にも僕の銅像より作りやすいだろうし。
(構成:渡部由美子)
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